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(1)1分で読める!そもそも古代ローマって何?
(2)共和政ローマ※このページです
(3)帝政ローマ
(4)キリスト教の誕生
一般に「古代ローマ」と言えば、この共和政ローマがスタート地点だと言えます。
共和政とは、「王様がいない政治体制」のことです。議会などの話し合いによって、国を運営していくスタイルです。
厳密には共和政の前に王政時代がありましたが、今回は省略します。
ローマ共和政の政治
政治はお金持ちのもの?
この時代のローマは共和政ですので、王様はいません。代わりに、「執政官(コンスル)」という役職が国のリーダー役を務めました。
執政官の定員は2名で、任期は1年間です。
誰を執政官に選ぶかは、元老院という会議で決められていました。
「会議で国のリーダーを選ぶなんて、現代風でまともな政治だなー」と思いきや、そうでもありません。
執政官に選ばれる人も、元老院を構成するメンバーも、みんな貴族の出身でした。要するに、お金持ちが国の政治を独占している状態です。
政治に参加できない一般人(平民)は、もちろん不満です。
ローマが外国と戦争したときは、平民は兵士して戦います。平民は「国のために戦ってるんだから、俺たちも政治に参加させてくれ!」と要求しました。
貴族からすれば、平民は貴重な戦力です。彼らの要求を簡単に突っぱねる訳にもいきません。
その結果、貴族が平民に譲歩する形で、「平民会」と「護民官」が設置されました。
平民会は、平民だけで構成される、貴族禁制の議会です。
護民官は、平民会の議長を務める役職です。元老院の議決に拒否権を発動できます。
法律の整備
平民は、法律の整備も要求しました。
それまでのローマには、はっきりとした法律はなく、なんとなく皆が守る慣習法に従っていました。モラル、マナーといったところです。
そんなあいまいなルールは、貴族たちが都合の良いように解釈して独占します。
この状況を改めるため、法律が明文化されました。これを十二表法といいます。
法の内容は、債務、財産、結婚、犯罪などに多岐に渡りました。
法律の整備はさらに続き、リキニウス=セクスティウス法が制定され、執政官の1人を平民から選ぶことが定められました。
最後に紹介するのがホルテンシウス法です。
平民会での決議が、元老院の承認なしで国法となることが認められました。
このように、段階的に平民に譲歩した法整備が進められ、貴族vs平民の身分闘争は落ち着いていきました。
地中海の覇者へ
ポエニ戦争
貴族と平民の対立はあれども、その間ローマは着実に領土を広げていきました。前272年にイタリア半島を統一した後、次に目指したのは地中海の統一です。
そこで衝突したのが、カルタゴです。
カルタゴとは、フェニキア人が北アフリカに建設した都市です。地中海の北部に本拠地を置くローマとは、対立関係にありました。
この2国が紀元前264年に激突し、ポエニ戦争が始まります。
約100年続いたポエニ戦争は、ローマが勝ちました。カルタゴは滅亡し、ローマの領土として吸収されました。
戦争の代償
ポエニ戦争に勝利したローマは、地中海を制覇する巨大国家へと成長しました。
しかし、本来喜ばしいはずの領土拡大によって、かえってローマ内部は不安定になっていくのでした。
その理由は、貧富格差の拡大です。
平民は自費で武器や防具を買っていたので、長期の戦争によってお金が無くなっていきました。
その一方で、貴族はさらにお金持ちになっていきました。
戦争でローマが獲得した農地を貴族が大金をはたいてレンタルし、そこで奴隷を働かせるのです。この奴隷もまた、戦争で獲得した捕虜たちです。
この土地経営方法をラティフンディアといいます。
奴隷が作る農作物は安くつくので、農民は経営コスト的に太刀打ちできません。これも農民没落の理由の一つです。
土地もお金も失った農民たちは、保護を求めて都市ローマに流れ込みました。
ローマにいけば、政府が食糧を無料で配給してくれるので、最低限の生活水準を保てます。
没落農民とはいえ選挙権を持つ市民であることに変わりはないので、政府も彼らの要求をある程度は飲まざるを得ません。
こういった生活に陥った没落農民を「無産市民」といいます。現代でいうニートが近いでしょうか。
内乱の一世紀
グラックス兄弟の改革
ローマは武器を買えない無産市民で溢れかえっています。ローマの軍事力の基礎は平民ですから、こうなると国全体の軍事力が低下してしまいます。
そこで登場したのがグラックス兄弟です。グラックス兄弟は、2人連続して護民官に選出された政治家兄弟です。
彼らは、「貴族が独占している土地を無産市民に配分する」という改革を打ち出しました。
この政策は、貴族で構成される元老院からは当然反発されます。
結局、グラックス兄弟の兄は暗殺され、弟は自殺するという悲劇的な結末をたどりました。
ここからの約100年間、ローマでは暴力による政治争いが横行する低迷期が続くことになります。
この時代を「内乱の一世紀」といいます。
三頭政治
世の中が混乱に陥ると、民衆は強力なリーダーシップを持った個人による政治を求め始めます。
そんなとき現れたのが、ポンペイウス、クラッスス、カエサルの3人です。ここから、この3人がリーダーとなって国を運営する、第一回三頭政治が始まりました。
中でもカエサルは民衆から絶大な人気があり、ポンペイウスとクラッススを出し抜いて「終身独裁官」に登りつめました。
事実上の王様みたいなものです。
しかし、共和政にこだわる元老院にとっては、カエサルの活躍が不愉快でたまりません。
結果、カエサルは元老院のブルートゥスという人物らによって暗殺され、ローマはまた混乱に陥りました。
この混乱をしずめるべく、またもや三頭政治の復活です。
今回の第二回三頭政治のメンバーは、アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌスの3人です。
この3人もまたすぐ対立してしまい、最終的にオクタウィアヌスが勝ちました。
オクタウィアヌスは元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」という称号を得て、ローマ帝国の初代皇帝となりました。
王様が誕生したので、共和政ローマはここで終了です。
今回はここまでです。もっと詳しく知りたい方は、以下のリンクからご覧ください。
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