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(1)1分で読める!そもそも古代ローマって何?
(2)共和政ローマ
(3)帝政ローマ
(4)キリスト教の誕生※このページです
今回は、キリスト教の誕生と発展の歴史について解説していきます。
予備知識
まず予備知識として、
- ユダヤ教
- ローマ帝国
について説明します。「そんなの知ってるよ」って人は、適当に読み飛ばしてください。
ユダヤ教は、キリスト教の母体となった宗教です。
ローマ帝国は、キリスト教が生まれ、発展した国です。今から約2000年前に栄えていました。
予備知識は以上です。
それではここから本題に入ります。
イエス・キリスト
パレスチナは豊かな土地ではないので、貧しい人がたくさんいました。彼らは貧しい生活からの救いを求めて、ユダヤ教という宗教を信仰していました。
そんなユダヤ教で力を持っていた宗派が、「パリサイ派」という厳しい宗派です。
パリサイ派は厳しい戒律を民衆に押し付けるばかりで、貧困に苦しむ民衆に寄り添おうとしませんでした。
そんなパレスチナに生まれ育ったイエスもまた、ユダヤ教徒でした。しかしパリサイ派のあまりの厳しさに疑問を持ったイエスは、30歳ごろに「神は平等に私たちを愛してくれる。神は決して私たちを罰したりはしない。」と説きました。
パリサイ派の厳しさに苦しむ民衆からすれば、なんと救いになる考え方でしょう。
民衆はイエスを崇め、イエスのことを救世主(メシア)と呼ぶようになりました。
しかし、このままイエスに目立たれては、ユダヤ教の祭司やパリサイ派は面白くありません。彼らはイエスを反逆者としてローマ帝国に訴え、十字架にかけて処刑してしまいました。
残されたイエスの弟子たちは、イエスの教えを広めるためキリスト教をつくりました。
弾圧から国教へ
ところで、当時のローマ帝国は多神教でした。つまり「神様は何人いてもOK」という宗教観です。
ローマ帝国のトップであるローマ皇帝も、数ある神様のうちの一人であるとされていました。
しかし、キリスト教徒はこれに反発します。イエスを救世主として崇めるキリスト教徒にとって、ローマ皇帝を神として崇拝するなんてことはできません。
当然ローマ皇帝が許すわけもなく、キリスト教徒は反社会集団とみなされ、弾圧されました。
行き場を失ったキリスト教徒はカタコンベという地下墓地に逃げ込み、ここでバレないように祈りを捧げて、なんとか信仰を守りました。
弾圧されても勢いは止まらず、帝国内のキリスト教徒の数は増えるばかりです。
ローマ皇帝コンスタンティヌス帝は、「これ以上キリスト教を迫害すると、かえって帝国のまとまりを欠いてしまう」と判断しました。
そこで、これまでのスタンスから一転して、キリスト教を公認することにしました(ミラノ勅令)。
さらに392年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教に定め、他宗教の信仰を禁止しました。
こうして、広大な領土を持つローマ帝国中にキリスト教が広まりました。
ローマ帝国は395年に東西に分裂しましたが、キリスト教はその後の中世ヨーロッパ社会に受け継がれていきました。
今回はここまでです。古代ローマについてもっと詳しく知りたい方は、以下のリンクからご覧ください。
- 1分で読める!そもそも古代ローマって何?
- 共和政ローマ
- 帝政ローマ
- キリスト教の誕生