ざっくり要点
- 16世紀にイランにできたイスラーム王朝のこと
- 首都のイスファハーンが栄えた
- イスラーム教のシーア派を信仰した
サファヴィー朝とは? ひとことで
サファヴィー朝は、16世紀から18世紀前半にかけてイランを支配したイスラーム王朝です。
サファヴィー朝の位置
建国
イスマーイールによる建国
ティムール朝が衰退していく中、入れ替わるようにイランにサファヴィー朝が建国されました。建国者はイスマーイールという人物です。
シーア派を国教化
イスマーイールは国内をまとめるためにシーア派を国教に定めました。シーア派とは、イスラーム教の宗派の1つです。
イスマーイール
国民みんなで同じ宗教信じて、一体感高めようぜ。
POINT
ここから現在に至るまでの約500年間、イランではシーア派の国家が続いています。
全盛期
アッバース1世
16~17世紀のアッバース1世の時代に、サファヴィー朝は全盛期を迎えました。
イスファハーンに遷都
アッバース1世は新首都イスファハーンを建設しました。他国との交易を積極的に行って人と富が集まったため、「イスファハーンは世界の半分」と称されるほどの繁栄ぶりでした。
世界遺産
イスファハーンのイマーム広場
イスファハーンに建設された、イマーム・モスクを中心とする広場。外国使節の謁見や軍隊の凱旋、公開処刑などの行事で賑わった。その町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。
こぼれ話
現在、イスファハーンの住人は出費に厳しい「倹約家」としてイラン人の間で有名であり、他の地域の人間からは敬遠されることがあるそうです。
衰退・滅亡
アッバース1世死後のサファヴィー朝はパッとしません。西隣のオスマン帝国に領土の一部を奪われたり、無能な君主が続いたりと衰退していきました。最後はアフガン人に首都イスファハーンを奪われ、18世紀前半にサファヴィー朝は滅亡しました。
サファヴィー朝 まとめ
まとめ
- サファヴィー朝とは、16世紀から18世紀前半にかけてイランを支配したイスラーム王朝である。
- 建国者のイスマーイールはシーア派を国教に定めた。
- アッバース1世の時代にサファヴィー朝は全盛期を迎えた。
- 首都イスファハーンは「世界の半分」と称されるほど繁栄した。