スラヴ人の分化
東ヨーロッパでは、6世紀頃からスラヴ人と呼ばれる民族が登場しました。
スラヴ人は広大な地域に拡がり、住む地域によって東スラヴ人、西スラヴ人、南スラヴ人の3つに分けられます。
POINT
スラヴ人は周辺地域の文化や宗教に影響を受けながら、自立の道を歩んでいった。
西スラヴ人
- 宗教:ローマ=カトリック
- 人種:ポーランド人、チェック人、スロヴァキア人
西スラヴ人は神聖ローマ帝国の影響を受けてローマ=カトリックに改宗しました。
ポーランド人
西スラヴ人の中でも注目はポーランド人です。14世紀前半、ポーランド人は北に住んでいたリトアニア人と組んでヤゲウォ朝(1386-1572)を建国しました。
チェック人
チェック人は10世紀にベーメン王国を建国しましたが、11世紀には神聖ローマ帝国に編入されています。
チェック人は、現在の「チェコ」を構成する主要民族です。
南スラヴ人
- 宗教:ローマ=カトリック、ギリシア正教会
- 人種:セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人
セルビア人
南スラヴ人のうち、セルビア人はギリシア正教に改宗しました。セルビア人は、はじめはビザンツ帝国に服属していましたが、12世紀に独立、14世紀前半にはバルカン半島北部を支配する強国を作りました。
クロアティア人、スロヴェニア人
クロアティア人とスロヴェニア人はローマ=カトリックを受容していきました。
同じ南スラヴ人でも、人種によって宗教が違うんですね。
東スラヴ人
- 宗教:ギリシア正教会
- 人種:ロシア人、ウクライナ人
キエフ公国の盛衰
10世紀末、キエフ公国では国王ウラディミル1世(在位980頃-1015)がギリシア正教を国教化しました。
ウラディミル1世のときにキエフ公国は最盛期を迎えます。しかしその後中国方面からモンゴル人が侵入し、東スラヴ人が住む地域は、一時期モンゴル人によって支配されてしまいました。この状態は「タタールのくびき」と呼ばれました。
モスクワ大公国
プロフィール
- 都:モスクワ
- 存続期間:1263~1547
- 特徴①:イヴァン3世のときに東北ロシアを統一
- 特徴②:イヴァン4世(雷帝)が専制政治の基礎を固めた
15世紀頃からモスクワ大公国という国が急成長し、イヴァン3世(在位1462-1505)のときに東北ロシアを統一します。1480年にはモンゴルの支配を抜け出します。
長い長いモンゴル支配でしたね…
東ヨーロッパの大国、ビザンツ帝国は1453年に滅亡しますが、イヴァン3世はビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚しました。これは、イヴァン3世がビザンツ帝国の事実上の後継者となることを意味します。ビザンツ帝国滅亡後には、イヴァン3世はビザンツを引き継ぐ者として「ツァーリ(皇帝)」という称号を自称しました。