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10世紀のイスラーム世界をわかりやすく解説【イスラーム世界の分裂】

イスラーム世界の年表
7世紀
メッカに生まれた商人ムハンマドがイスラーム教を創始
632~661年
ムハンマドの死後、イスラーム世界をカリフが統率した時代
661~750年
イスラーム史上最大の王朝。アラブ人優遇政策により国民から反発を受ける
750~9世紀初頭
バグダードに遷都。ハールーン=アッラシードのとき全盛期
10世紀
イスラーム世界の分裂期 今ココ
シーア派王朝のファーティマ朝とブワイフ朝がアッバース朝を圧迫
11世紀
トルコ人王朝のセルジューク朝が登場。建国者トゥグリル=ベクがスルタンの称号を授かる。
12世紀
エジプトでサラディンがアイユーブ朝を建設。十字軍からイェルサレムを奪還する。
13世紀
フラグ率いるモンゴル軍がアッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建設。ガザン=ハンのときイスラーム教に改宗。

ここまでの流れ

アッバース朝はウマイヤ朝時代の反省を生かして、非アラブ民族にも寛容な統治を行いました。8世紀半ばには全盛期を迎え、タラス河畔の戦いでは中国の唐王朝を破りました。

アッバース朝の衰退

独立する地方政権

アッバース朝は8世紀末のハールーン=アッラシードの時代に全盛期を迎えました。しかし彼の死後、アッバース朝は各地に地方政権が分立するようになり、衰退の一途をたどります。こちらは10世紀頃のイスラーム王朝の勢力図です。
地図
全盛期と比べると、アッバース朝の領土がかなり小さくなっていますね。

スンナ派vsシーア派

かつてウマイヤ朝が発足したとき、イスラーム教にスンナ派とシーア派という二大派閥が生まれましたよね。ファーティマ朝とブワイフ朝は、ともにシーア派の王朝です。この2国に対してアッバース朝はスンナ派です。
※シーア派…正統カリフ時代の4代目カリフであるアリーの子孫のみを、正統な後継者として認める思想
シーア派のファーティマ朝とブワイフ朝に、スンナ派のアッバース朝が挟まれている構図ですね。なんだか危ない香りがします…

ファーティマ朝

プロフィール
  • カイロ
  • 存続期間:909~1171年
  • 特徴:北アフリカのシーア派王朝

三カリフ時代

ファーティマ朝は「アリーの子孫である俺たちこそが真のカリフだ!」と主張し、アッバース朝のカリフと対抗しました。さらにファーティマ朝と同じく、後ウマイヤ朝もカリフを自称したので、イスラーム世界に3人のカリフが共存する状況になりました。この時代を「三カリフ時代」と呼び、10~12世紀と続きました。
イスラーム世界の分裂時代の到来ですね。

顔

ブワイフ朝

プロフィール
  • 存続期間:932~1062年
  • 特徴:イラン系軍人政権

政権奪取

アッバース朝の右隣では、イラン人の軍人がブワイフ朝(932~1062)を建国しました。ブワイフ朝は、946年にアッバース朝の都、バグダードに侵攻しました。その結果、ブワイフ朝の指導者はカリフから「大アミール」の称号を授かりました。
大アミールとはいったい何でしょうか?

アミールは、「司令官」や「総督」を意味します。大アミールは「アミールの第一人者」という意味です。ブワイフ朝がイスラーム世界の軍事・行政権を獲得したと考えてみてください。
ファーティマ朝にはカリフを自称されて、ブワイフ朝には武力行使されて、この頃のアッバース朝は散々ですね。

1055年にはセルジューク朝がバグダードに入城してカリフは救出されましたが、その後はセルジューク朝によるイスラーム世界の統治が始まりました。

カラ=ハン朝

プロフィール
  • 存続期間:10世紀半ば~12世紀半ば
  • 特徴:トルコ人初のイスラーム王朝

トルコ人イスラーム王朝の先駆け

10世紀には、トルコ人初のイスラーム王朝であるカラ=ハン朝が中央アジアに誕生しました。カラ=ハン朝をきっかけにトルコ人イスラーム国家の建設が盛んになり、11世紀のイスラーム世界の中心的な民族となっていきます。

確認テスト

答え.10世紀
答え.カイロ
答え.大アミール