ゲルマン人の大移動
4~6世紀、ゲルマン人がヨーロッパに侵入し、各地に国家を建設した動きのこと。中世ヨーロッパの幕開けとも言える出来事。
目次
大移動の開始
4世紀のヨーロッパ
なぜゲルマン人は移動したか?
そもそもなぜゲルマン人は大移動を開始したのか、その理由はフン人という民族の存在です。
アジア方面にいたフン人が西に移動し、ゲルマン人を圧迫し始めたのです。まずゲルマン人の一部族である西ゴート人が西ローマ帝国領内へと逃げ込みました。それを見た他のゲルマン人たちも、西ローマ帝国領内の色んな所へ散り散りになりました。
ゲルマン人の大移動
ゲルマン・西ローマ連合軍 vs フン人
ヨーロッパ世界に逃げたゲルマン人ですが、まだ油断はできません。フン人は5世紀前半にアッティラ王が大帝国を築き、ゲルマン人を追いかけました。
ゲルマン人もいつまでも逃げているわけにはいきません。覚悟を決めたゲルマン人は西ローマ帝国と結託し、フン人の進入を食い止めました。
中世ヨーロッパの幕開け
西ローマ帝国の滅亡
フン人撃退後も、西ローマ帝国にはゲルマン人がどんどん入ってきます。そんな混乱状態の中、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ帝国は滅ぼされました。
乱立するゲルマン諸国たち
ゲルマン人の各民族は、移動先のヨーロッパ各地に国を建設していきました。数が多いので、地図で確認しましょう。
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ゲルマン人が建設した国
短命に終わったゲルマン諸国
ゲルマン人が西ヨーロッパ各地に建設した国家は、そのほとんどが短命に終わってしまいました。その理由として、宗教の問題があります。
追い詰められたアリウス派
話はローマ帝国の東西分裂前にさかのぼります。当時、キリスト教の宗派の1つであるアリウス派がピンチを迎えていました。
ゲルマン人に布教
ローマ帝国を追い出されたアリウス派は、ローマ帝国と隣接した地域に住むゲルマン人に目をつけました。ゲルマン人に布教することで、アリウス派を存続させようという狙いです。もう後がないアリウス派の熱心な布教活動を、ゲルマン人は受け入れていきました。
ローマ人の反発
しかしここで問題発生です。話をゲルマン人の大移動後に戻します。アリウス派に改宗されたゲルマン人がヨーロッパで国を作っていきますが、ゲルマン人が支配する住民の多くはローマ人です。以前まで西ローマ帝国があったので当然ですね。問題なのは、ローマ人はアタナシウス派であるということです。
ゲルマン人の大移動 まとめ
- 4世紀後半、フン人に圧迫されたゲルマン人はヨーロッパに南下し、各地で国を建設した。
- ローマ帝国はゲルマン人の侵入により混乱し、東西分裂した。分裂後の西ローマ帝国はゲルマン人のオドアケルによって滅ぼされた。
- 宗教上の問題から、フランク王国を除くほとんどのゲルマン諸国が短命に終わった。