レコンキスタとは
レコンキスタとは、キリスト教勢力がイベリア半島からイスラーム勢力を追い出そうとした運動のことです。日本語では国土回復運動と言ったりもします。
レコンキスタは718年から1492年まで行われ、最終的にイスラーム勢力をイベリア半島から追い出すことに成功しています。
予備知識
まずは予備知識として
- キリスト教
- イスラム教
- イベリア半島
について説明します。「そんなの知ってるよ」って人は、適当に読み飛ばしてください。
キリスト教は、ヨーロッパ生まれの巨大宗教です。レコンキスタ当時は、ヨーロッパ中がキリスト教の影響を受けまくっています。
イスラム教はアラビア半島で生まれた宗教です。610年に始まって以来、色んなイスラム教の国が生まれたり消えたり、他の地域に攻め込んだりしていました。
イベリア半島は、ヨーロッパの南西にある半島です。現在は、スペインとポルトガルがあります。レコンキスタの舞台となった場所です。
レコンキスタ以前の状況
イスラーム勢力がイベリア半島に侵入する前の7世紀ごろの勢力図は、こんな感じです。
西ゴート王国は、ゲルマン人の大移動により成立した国です。
ウマイヤ朝はイスラム教の国です。もうイベリア半島の目の前まで迫っていますね。
イスラム教では、イスラム教以外の信者との戦いをジハード(聖戦)と呼びます。「これは聖なる戦いなのだ!」と信じ込んでしまえば、侵略戦争も正当化されるわけです。
そのジハードの波が、イベリア半島の西ゴート王国にまで到達したのが711年。ウマイヤ朝によって西ゴート王国は滅ぼされ、遂にイスラーム勢力がヨーロッパに進出です。
レコンキスタの経緯
負けじとウマイヤ朝も北上し、フランク王国へも侵入しましたが、これは撃退されています(トゥール・ポワティエ間の戦い)。
最後の拠点グラナダ
レコンキスタが進行していく中で、最後までイベリア半島に残ったイスラーム勢力の拠点が、ナスル朝の首都グラナダです。
1492年にグラナダは陥落し、これをもってレコンキスタが完了しました。
アルハンブラ宮殿
13~14世紀に建設されたグラナダの要塞。ここを拠点にレコンキスタに抵抗したが、約200年持ちこたえたのち、陥落。
スペインとポルトガル
レコンキスタが進行する過程で、イベリア半島には、アラゴン・カスティリャ・ポルトガルの3つのキリスト教国家が建てられました。
このうちアラゴンとカスティリャは統合し、1479年にスペイン王国へと生まれ変わりました。
レコンキスタ まとめ
- レコンキスタとは、キリスト教勢力がイベリア半島からイスラーム勢力を排除しようとした運動のこと。
- イスラム教国のウマイヤ朝はイベリア半島に進出し、711年に西ゴート王国を滅ぼした。
- 1492年にイスラーム勢力最後の都市であるグラナダが陥落し、レコンキスタが完了した。
- イスラーム勢力が一掃されたイベリア半島には、ポルトガル王国とスペイン王国が成立した。