目次
エジプト文明とは?
エジプト文明の年表
エジプト文明はおおまかに、第1王朝から第31王朝までに分類されます。さらに各王朝を何個かのグループに分けて、第1王朝から第2王朝までを「初期王朝時代」、第3王朝から第6王朝までを「古王国時代」…と区分されます。
エジプト文明の成り立ち
ナイル川の大洪水
エジプトには世界最長の河川、ナイル川が流れています。ナイル川は毎年決まった時期に洪水をおこします。洪水によって流れてくる土には栄養がたっぷり含まれており、その土を使って農業を営むことができたのです。こうして人々は自然とナイル川流域に集まり、エジプト文明が始まりました。
ファラオの登場
農業をするうえで、農民たちを束ねるリーダー格の人物が自然に生まれてきます。その人物はやがてエジプトの王となり、「ファラオ」という称号を使いました。
「黄金のマスク」で有名なツタンカーメンも、ファラオの一人です。
エジプト文明の技術・文化
ピラミッド建設
エジプトと聞いて、真っ先にピラミッドを連想する人は多いのではないでしょうか。エジプトには140以上のピラミッドが現存しており、今から4000年以上前の古王国時代に盛んに建設されました。
ピラミッド建設は、そういった農民に仕事を与えるための公共事業の一つだったと現在は考えられています。ちなみにエジプト最大のピラミッドには、2.5tの岩が約270万~280万個積みあがっています。一大事業ですね。
メンフィスとその墓地遺跡
手前からメンカウラー王、カフラー王、クフ王のピラミッドです。中でもクフ王のものはエジプトのピラミッドの中で最も大きく、高さは147メートルもあります。
「西暦」の元祖を発明
エジプト文明ではナイル川の氾濫を利用した農業が生命線です。なので、ナイル川がいつ氾濫を起こすかを正確に知る必要があります。そうした背景から、1年を365日とする太陽暦が生み出されました。太陽暦はその後ヨーロッパ世界での微修正を経て、現在私たちが使用している「西暦」へと移り変わりました。
ミイラはなぜ作られた?
エジプト文明の死生観にも触れておきます。古代エジプトでは、人が死んだ後も魂は来世で生き続けると考えられていました。そして来世で魂が入る器として、ミイラが残されました。
※苦手な方のためにミイラの画像は貼りませんが、気になる方は検索してみてください。
神聖文字
文字表記には、神聖文字(ヒエログリフ)と民用文字(デモティック)が使われました。
多神教の世界
エジプト文明は多神教の世界です。新王国時代になると、アモン=ラー信仰が盛んになりました。前14世紀に一神教に様変わりしますが(アメンホテプ4世のアマルナ改革)、結局は多神教に戻ります。
- アモン:エジプトの都テーベの守護神
- ラー:エジプト全土で信仰されていた太陽神
エジプト文明 まとめ
- エジプト文明はナイル川流域でおこり、やがてファラオによる統一国家が始まった。
- 古王国時代、クフ王などのピラミッドが建設された。
- 1年を365日とする太陽暦を用いた。
- 太陽神ラーを中心とする多神教世界であった。