七月革命 ざっくり要点
- 1830年にフランスで起きた革命のこと
- それまでの王を追い出して新しい王を迎え入れた
七月革命とは?
七月革命とは、1830年にフランス王シャルル10世に対して、パリ市民が蜂起した革命のことです。七月革命の結果シャルル10世はイギリスに亡命し、新たにオルレアン家のルイ=フィリップが王に即位し、七月王政が成立しました。
革命の背景・経緯
ウィーン会議
1814年、ナポレオンが去った後のヨーロッパの戦後処理を決めるウィーン会議が開催されました。ウィーン会議は「絶対王政をヨーロッパに復活させたい!」という方向で着地したので、フランスにブルボン朝が復活することになりました。ブルボン朝といえば、フランス革命によって一度途絶えたフランス王家でしたね。
復活したブルボン朝
ブルボン朝の復古王政により国王に即位したルイ18世、さらにその後を継いだシャルル10世は共に、フランス革命の成果を無視した反動政治を行いました。
シャルル10世
フランス革命もナポレオンもダメだ。絶対王政こそが正義なんだ。
ルイ=フィリップ
絶対王政なんて時代遅れさ。
ここで『民衆を導く自由の女神』という七月革命をテーマにした絵画を紹介します。フランスの画家ドラクロワによって描かれました。中央のフランス国旗を掲げている女性は「マリアンヌ」というフランス共和国を擬人化した女神です。
七月革命の影響
ベルギー独立
七月革命の影響はヨーロッパ各地に拡がりました。オランダの支配下に置かれていたベルギーでは、七月革命の1か月後に反乱が起こり、独立を果たしました。ポーランドやドイツでも反乱が起こりましたが、それらは鎮圧されています。
POINT
七月革命の影響でヨーロッパ各国で自由主義・ナショナリズム運動が盛んになり、保守的な体制であるウィーン体制はぐらつきました。
七月革命 まとめ
まとめ
- ナポレオン失脚後、ウィーン会議によりフランスでブルボン朝が復活した。
- ルイ18世、シャルル10世はフランス革命の成果を否定する反動政治をおこなった。
- 1830年7月にパリで反乱が起こり、新たにルイ=フィリップを国王に迎え入れた。
- 七月革命はウィーン体制を動揺させ、影響を受けたベルギーはオランダから独立した。