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1848年革命とは?
1848年革命とは、1848年にヨーロッパ各地で起こった革命の総称です。当時のヨーロッパ国際秩序であるウィーン体制の崩壊を招きました。
1848年革命の背景・経緯
1848年革命に至るまでの経緯を簡単に説明します。
その内容をざっくり言うと、「絶対王政を復活させて、ヨーロッパに安定をもたらそう」という保守的なものです。
このウィーン体制にとって厄介だったのが、当時民衆の間で盛り上がりを見せていた「自由主義」と「ナショナリズム」の思想です。
自由主義
「国民が何にも縛られることなく、経済活動や政治活動の自由を手に入れよう!」という運動です。絶対王政とは真逆のような考え方ですね。
ナショナリズム
「国民・民族のまとまりを重視して、その独立や発展を目指そう」という思想です。国旗や国歌が分かりやすい例で、愛国心・自国への帰属意識をもたらす感じがしますよね。
1830年にフランスで起こった七月革命でもウィーン体制は動揺しましたが、崩壊にまでは至っていませんでした。
1848年に起こった革命
1848年革命の内訳を、一つずつ見ていきましょう。
二月革命
1848年2月にフランスで起こった二月革命は、選挙法改正を求める自由主義的な運動でした。この二月革命をきっかけにヨーロッパ各地に革命の動きが飛び火し、1848年革命が始まります。
ウィーン三月革命
二月革命直後の三月、オーストリア帝国の首都ウィーンで革命が起こります。自由主義的な改革を求めて市民が暴動を起こし、ウィーン体制の主導者であるメッテルニヒが失脚に追い込まれました。
ベルリン三月革命
プロイセンの首都ベルリンでも暴動が起こり、プロイセン国王はフランクフルト国民議会の開催を約束しました。この議会では、バラバラだったドイツの統一と憲法の制定を目指しました。
ハンガリー民族運動
オーストリアに支配されていたハンガリーは独立運動を起こしましたが、鎮圧されました。
ベーメン民族運動
同じくオーストリアに支配されていたベーメンという地域でも独立運動が起こりましたが、これも鎮圧されました。
イタリア統一運動
イタリアは、中世の頃から分裂状態にありました。19世紀初頭からはイタリアを統一する動きが出始めており、1849年にはローマ共和国が建設されましたが、フランス軍に倒されてしまいました。
MEMO
ヨーロッパ各地で民族独立運動が起こったこの状況を、「諸国民の春」と呼びます。1848年革命の意義・影響
1848年革命の歴史的意義といえば、上で述べたようにウィーン体制を終わらせたことにあります。
ウィーン体制の崩壊後、西ヨーロッパでは自由主義が、中・東ヨーロッパではナショナリズムが盛り上がりを見せていきます。
ウィーン体制の崩壊後、西ヨーロッパでは自由主義が、中・東ヨーロッパではナショナリズムが盛り上がりを見せていきます。
1848年革命 まとめ
まとめ
- 1848年革命とは、ヨーロッパで起きた一連の革命の総称である。
- フランスの二月革命を皮切りに、ヨーロッパ各地で自由主義的運動や民族独立運動が起こった。
- ウィーン三月革命で、ウィーン体制の主導者であるメッテルニヒが失脚した。