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十字軍とは何だったのか?わかりやすく解説

十字軍という言葉だけを聞くと、華やかで映画のような話にも思える。しかし、十字軍は単なるロマンや冒険の物語ではなく、歴史的に深い意味を持つ出来事だった。十字軍は中世ヨーロッパのキリスト教徒による戦いの歴史だ。その背景には何があったのか?戦いの結果、何が変わったのか?それらを見ていこう。

十字軍とは

十字軍って名前は聞いたことあるんですが、結局何なんですか?
十字軍は、11~13世紀の中世ヨーロッパで行われた一連の宗教戦争のことなんだ。キリスト教徒が、イスラム教徒から聖地イェルサレムを奪還するために戦ったんだよ

そして当時は、イスラーム教国家のセルジューク朝がイェルサレムを支配していたんだ

11世紀末のヨーロッパ・西アジア

そもそも、なぜイェルサレムがそんなに重要なんでしょうか?
イェルサレムは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三つの宗教にとって聖地なんだ。キリスト教徒にとっては、イエス・キリストが十字架にかけられた場所であり、復活した場所だ。イスラム教徒にとっては、預言者ムハンマドが昇天した場所とされている。そしてユダヤ教徒にとってはエルサレム神殿が建てられていた場所なんだ。

エルサレム神殿の跡地である「嘆きの壁」は、現在もユダヤ教徒にとって非常に重要な聖地となっているよ。

嘆きの壁

3つの宗教にとっての聖地か…すごいですね。だからイェルサレムを巡って十字軍が起こったんですね。

十字軍の背景

三圃制

十字軍がイェルサレムを奪還する戦いだというのは分かりました。始まった背景は他にもあったんですか?
十字軍が始まる背景にはいくつかの要因があるんだ。まず、一つ目は三圃制という農業の革新だ。

三圃制では、一つの区画には冬作物、もう一つの区画には春作物を植え、残りの一つは休耕地として休ませるんだ。これを毎年順番に変えていくんだ。

なんでそんなことをするんですか?
土地の肥沃さを保つためだね。同じ作物を連続して栽培すると、土壌の養分が偏って使われてしまう。三圃制によって、土壌の負担を軽減し、作物の収量を維持できるんだよ。この三圃制の導入で、農業生産が大幅に向上し、ヨーロッパの人口も増えたんだ。

そして人口が増えたことで、ヨーロッパ世界が外へ外へと拡大していく圧力がかかっていたと言える。

巡礼の流行

もう一つ触れておきたいのは。巡礼の流行だ。巡礼というのは、信仰心を表すために聖地や聖なる場所を訪れることだよ。

現代でもアニメファンたちが『聖地巡礼』をして楽しんでいますよね。巡礼は、具体的にはどんな場所に行くんですか?
イェルサレムはもちろん、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステーラなどが有名だね。これら3つの町は『キリスト教の三大聖地』と言われている。ローマはキリスト教の中心地、サンティアゴ・デ・コンポステーラは聖ヤコブの遺骨が安置されているとされる場所なんだ。現在のスペインにあるよ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

巡礼の流行が、十字軍とどう関係するんですか?
巡礼には危険が伴うからだね。例えばイスラーム支配下の地域を通るときなんかはそうだよね。襲われてしまうかもしれない。

だから、巡礼者たちが安全に聖地を訪れることができるようにするために、いわば護衛として十字軍はうってつけだったわけだ

第1回十字軍

十字軍は何回かに分けて派遣されたと聞いています。
十字軍の歴史
期間 十字軍 主な出来事や結果
1096~99年 第1回十字軍 クレルモン宗教会議で呼びかけ。イェルサレムを奪還し、イェルサレム王国を建設。
1147~49年 第2回十字軍 エデッサ伯国の陥落がきっかけ。失敗に終わり、大きな成果はなし。
1189~92年 第3回十字軍 サラディンがイェルサレムを奪還。リチャード1世、フリードリヒ1世らが参加。イェルサレム奪還には失敗。
1202~04年 第4回十字軍 エジプト攻撃の予定が、ヴェネツィア商人の影響でコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国を建設。
1217~21年 第5回十字軍 エジプト攻撃を試みるも失敗。
1228~29年 第6回十字軍 フリードリヒ2世が和平交渉によりイェルサレムを一時的に回復。
1248~54年 第7回十字軍 フランス王ルイ9世が指導。エジプト遠征に失敗し、ルイ9世は捕虜となる。
1270年 第8回十字軍 再びルイ9世が指導。チュニス遠征中にルイ9世が病死。大きな成果は得られず。
そのとおり。第1回十字軍は、1096年から1099年にかけて行われたんだ。当時、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)はイスラム勢力からの圧力を受けていて、西ヨーロッパ世界に助けを求めた。これが第1回十字軍の直接的なきっかけとなったんだ。

ビザンツ帝国の救助要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は、聖地イェルサレムの回復を提唱し、多くの騎士や庶民がこれに賛同した。ちなみにローマ教皇というのは、カトリック教会のトップのこと。言うまでもなく、めちゃくちゃ偉い人だ。

こうして派遣された第一回十字軍は長旅を経て1099年にイェルサレムを奪還し、イェルサレム王国を建てたんだ。

目的どおり、聖地イェルサレムを取り戻せたんですね!
そうだね。でも、その後も戦いは続いたんだ。

第2~3回十字軍

第2回十字軍

第1回十字軍が成功したのに、なぜ第2回十字軍が派遣されたんですか?
第1回十字軍の成功の後も、イェルサレム王国や他の十字軍国家は常にイスラム勢力の脅威にさらされていたんだ。1144年には、十字軍国家のエデッサ伯国がイスラム教徒によって陥落してしまった。これが第2回十字軍のきっかけとなったんだ。

第2回十字軍は1147年から1149年にかけて行われたけれど、大きな成果を上げることはできなかった。

第3回十字軍

第3回十字軍は、1187年にサラディンという人物がイェルサレムを奪還したことを受けて行われたんだ。1189年から1192年にかけて、イングランドのリチャード1世などが参加したけど、イェルサレムの奪還には失敗した。

サラディンって強かったんですね。サラディンって何者なんですか?
サラディンは、12世紀のイスラム世界の偉大な指導者であり、軍事的指導者だ。彼はイスラーム教国アイユーブ朝の創始者で、エジプトとシリアを統一したんだ。

さらに、サラディンはその人柄でも称賛されている。彼は敵に対しても寛容で、捕虜となったキリスト教徒に対しても公正で親切だったと言われているんだよ。

敵に対しても親切だったんですか?それは珍しいですね。
リチャード1世が病気に倒れた時、サラディンはリチャードに薬や新鮮な果物を送ったんだ。敵対している相手にも敬意を持って接する、これがサラディンの騎士道精神なんだよ。

敵に対してもそんなに優しいなんて、立派な人物ですね。
その通りだね。サラディンは単なる軍事的リーダーではなく、その寛容さと騎士道精神で多くの人々に尊敬されているんだ。

第4回十字軍

さあ、続いて1202年から1204年にかけて行われた第4回十字軍だ。この十字軍はちょっと複雑でね。本来はエジプトを攻撃する予定だったんだけれど、資金不足でヴェネツィア商人に頼ることになった。

しかし、ヴェネツィア商人たちは自分たちの利益のために十字軍を操り、結果的に十字軍はコンスタンティノープルを攻撃することになってしまった。

どういうことですか?なぜコンスタンティノープルを攻撃することが、ヴェネツィア商人の利益に繋がるのですか?
ヴェネツィアは中世のイタリア都市国家で、地中海貿易の重要な拠点だった。そしてコンスタンティノープルは東西貿易の要所であり、ビザンツ帝国の首都でもあった。

つまりヴェネツィアは、コンスタンティノープルを攻撃することで貿易ルートを確保し、競争相手であるビザンツ帝国の影響力を削ぐことができたんだ。

なるほど。それで第4回十字軍は本来の目的からずいぶん逸れてしまったんですね。
全くその通りだ。そしてヴェネツィア商人にそそのかされた十字軍は本当に1204年にコンスタンティノープルを占領し、そこにラテン帝国を建ててしまったんだ。

第5~8十字軍

その後の十字軍はどうだったんですか?
第5回から第8回までの十字軍も行われたけれど、大きな成功を収めることはできなかった。

第5回十字軍は1217年から1221年にかけてエジプトを攻撃したけれど、失敗に終わった。第6回十字軍は1228年から1229年にかけて行われ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がイェルサレムを一時的に回復したんだ。

第7回と第8回十字軍はフランス王ルイ9世が主導したけれど、どちらも失敗に終わった。最終的に、1291年にアッコが陥落し、十字軍国家は完全に消滅してしまったんだ。

十字軍は基本的にはグダグダな感じだったんですね。
そうだね。十字軍は多くの異なる国と指導者によって構成されていたから、統一した指揮系統が欠けていたんだ。

十字軍の影響

教皇権の衰退

十字軍が終わって、どんな影響があったんですか?
十字軍の影響は多岐にわたるんだ。まず、ローマ教皇の権威が大きく揺らいだ。多くの十字軍が失敗し、教皇の指導力に疑問が生じたからだ。

たしかに、元はといえばクレルモン宗教会議での教皇の呼びかけが、十字軍のきっかけでしたよね。
そうだね。十字軍以前は教皇が宗教的だけでなく、政治的にも強い影響力を持っていた。十字軍の失敗により、今度は各国の王や貴族が権力を強化し始めたんだ。つまり国家の力が強まっていったわけだね。

シーソーみたいに、教皇が弱くなると今度は国家の力が強まったんですね。国家が強くなると、どうなるんですか?
国家が力を持つことで、国民の統一感や国家意識が高まったんだ。「自分はこの国の一員なんだ!」という感覚だね。また、国家間の戦争も増え、ヨーロッパの政治地図が大きく変わっていったんだ。

宗教改革の準備

なるほど。他にはどんな影響がありましたか?
もう一つ重要な影響は、教会改革の動きだね。教皇の権威が揺らぐと、教会内部からも改革の声が上がり、教会の腐敗を正そうとする動きが活発になったんだ。

腐敗というのは例えば、聖職者の堕落や売買聖職、贖宥状(免罪符)の販売などだね。そうして、信仰の純粋さを取り戻そうとする動きが広がり、後の宗教改革に繋がっていくんだ。

イタリア諸都市の繁栄

また、イタリア諸都市の繁栄も十字軍の影響の一つだ。

十字軍が聖地やその周辺地域に遠征することで、多くのヨーロッパ人が中東やアジアの文化や商品に触れる機会が増えた。例えば、香辛料、絹、宝石、薬品などがそうだね。これらの商品はヨーロッパでは非常に貴重で、高価だったんだ。

そういう商品がヨーロッパに持ち込まれるようになったんですね。
そうだね。特にヴェネツィアやジェノヴァ、ピサなどのイタリアの港湾都市は東方貿易の拠点となり、大いに繁栄したんだ。

ヴェネツィア(左)、ジェノヴァ(中央)、ピサ(右)

十字軍がきっかけで、こんなに大きな経済の変化があったんですね。
そうだね。十字軍は単なる宗教戦争ではなく、経済や文化、社会に多大な影響を与えたんだ。それがまた、ヨーロッパの歴史に大きな変革をもたらしたんだよ。

十字軍 まとめ

まとめ
  • 十字軍は、11世紀末から13世紀末にかけて行われたキリスト教徒による聖地イェルサレム奪還のための軍事遠征だった。
  • 巡礼の流行や三圃制が十字軍の背景となり、多くの騎士や庶民が参加した。
  • 第1回十字軍はイェルサレムの奪還に成功したが、その後の十字軍は内部分裂やイスラム勢力の抵抗により失敗に終わった。
  • 十字軍はヨーロッパと中東の間での文化や知識の交流を促進し、東方貿易の活発化やルネサンスの一因となった。