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フランス革命とは
フランス革命(1789~99)とは、フランスの絶対王政が崩壊し、共和政(王のいない政治体制)に移行した事件のことです。フランス革命が起こる前のフランスは、国王を頂点とするヒエラルキー社会でした。
国王は文句なしにダントツで偉い人です。
その下には、上流階級の国民がいます。キリスト教の仕事をする人とかですね。
この人たちも、税金を払わなくていいお得な身分です。
一方で、フランス国民のほとんどは「平民」という低い身分に属します。平民はたくさんの税金を払わされ、それらのお金は王様の贅沢や、戦争費用に消えていきます。
そんなゆがんだ社会に平民の怒りが爆発して、最終的には王様をギロチンで処刑してしまいました。
その後も色々ゴタゴタがあって、最後にはかの有名なナポレオンが登場し、「もうフランス革命終わり!」と宣言して終わりました。
この一連のできごとをフランス革命といいます。
なぜフランス革命が起こったのか?
まずは、国民のキツい身分制度です。
アンシャン・レジーム
フランス革命以前のフランス国民は、聖職者(キリスト教関係の仕事をする人)が第一身分、貴族が第二身分、平民が第三身分と分けられていました。この身分制度をアンシャン・レジームといいます。
第一身分と第二身分は税金を払わなくていい特権身分です。その一方で、人口の98%を占める第三身分には納税義務があり、彼らは苦しい生活を送っていました。
アンシャン・レジームは、一部のお金持ちが富を独占するゆがんだ社会構造なのです。
身分間の対立
また、当時のフランス政府は財政難に苦しんでいました。
国王ルイ16世の先々代のルイ14世はヴェルサイユ宮殿を建設し、先代のルイ15世も外国との戦争に明け暮れていました。戦争はたくさんお金がかかります。
そうやって彼らが積み上げていた負債が膨れ上がり、ルイ16世の頃には、いよいよ首が回らなくなってきていたのです。
ルイ16世としては、国民から税金を集めたいところですが、これ以上第三身分に課税することも難しそうです。
そんな状況を打破するため、ルイ16世は遂に第一身分・第二身分への課税を試みました。
しかし、今まで特権身分として免税されてきた聖職者(第一身分)と貴族(第二身分)は、課税に猛反発です。
そこで、この問題を話し合いで解決するため、三部会が招集されました。
三部会とは、聖職者・貴族・平民の各身分の代表者が出席する議会のことです。
開催された三部会では、「課税されたくない第一身分・第二身分 vs 特権身分にも課税してほしい第三身分」の構図がハッキリとしてしまいました。
そこで第三身分は三部会を離脱し、自分たちだけの議会である「国民議会」を作りました。
ルイ16世は、国民議会のメンバーを会議場から追い出してしまいます。会議する場所を失った国民議会ですが、これぐらいではへこたれません。
彼らはヴェルサイユ宮殿に隣接するテニスコートに集まりました。そして、「憲法を制定するまで、国民議会は絶対に解散しない!」と宣言しました。
この出来事を「テニスコートの誓い」といいます。
バスティーユ牢獄襲撃
ルイ16世は国民議会を黙らせるため、全国から2万人の軍隊をヴェルサイユに集めようとしました。
これに反発した民衆が武装蜂起してバスティーユ牢獄を襲撃しました。
バスティーユ牢獄には弾薬が大量に備えられており、今後の革命運動のために、まずは武力を確保しようという狙いがあったのです。
バスティーユ牢獄襲撃事件をきっかけに、フランス全土で暴動が起こり、フランス革命がスタートします。
- フランス絶対王政では、アンシャン・レジームのもとに第三身分は苦しい生活を強いられていた。
- 財政難を乗り切るため、ルイ16世は三部会を招集して特権身分への課税を試みたが、特権身分と第三身分の対立が激しくなった。
- 第三身分は三部会から独立して国民議会を結成し、憲法制定まで決して解散しないことを誓った。
- パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃して、フランス革命が勃発した。
フランス革命の展開 ~立憲君主政編~
ヴァレンヌ逃亡事件
国民議会が国民の自由や平等を規定したり(人権宣言)、食糧のインフレに怒った主婦がヴェルサイユ宮殿まで押しかけたり(ヴェルサイユ行進)…。中でも極めつけは、ヴァレンヌ逃亡事件です。フランス革命の進行を恐れた国王ルイ16世と妻のマリ=アントワネットが、マリ=アントワネットの実家があるオーストリアに逃げようとした事件です。変装して別人を装って馬車に乗り込むという、スリル満点の逃亡計画です。
しかし、逃亡途中のヴァレンヌという町で変装がバレてしまい、国外逃亡は失敗に終わりました。国が非常事態に陥っている最中に、あろうことか国王一家が逃げ出してしまうというスキャンダルです。
このヴァレンヌ逃亡事件で、ルイ16世は国民の信頼を完全に失ってしまいました。
立憲君主政の成立
ヴァレンヌ逃亡事件以来、国民からは「王政を廃止しろ!」という声も高まってきました。そんな状況で、国民議会は憲法をつくりました。この憲法では、「今後のフランスは立憲君主政でやっていこう。」と決められました。
立憲君主政とは「とりあえず王様は一応存在するけど、憲法や法律の方が偉いよ。」という政治体制です。
フランス革命以前の絶対王政時代に比べると、結構前進した感じがしますね。
ところで、フランス革命が起こる直前に国民議会は、「憲法制定するまで我々は解散しない!」と高らかに宣言していましたよね(テニスコートの誓い)。
で、今回本当に憲法をつくってしまったので、彼らは約束通り解散しました。
そしてもう一度選挙をして、新たに「立法議会」が立ち上がりました。
フランス革命の経緯 ~第一共和政編~
周辺国の革命潰し
ここでちょっと、フランス国外に目を向けてみます。
これまでのフランス革命の経緯を、周囲の国は否定的な目で見ていました。
それもそのはずで、フランス周辺国のほとんどは王政です。
各国の王様からしてみると、「こんな革命が我が国で起こったら、たまったもんじゃない。」と不安に思いますよね。
そこで、オーストリアとプロイセンの王様が共同で、「フランスに王政を復活させなさい!」という宣言を発表しました。
オーストリアといえば、ヴァレンヌ逃亡事件で国王一家の逃亡を手助けした、アンチフランス革命の国でした。
これを受けて、フランス側はどうするのか。
ちょうどその頃、立法議会の内部で派閥争いがありました。
「王様いてもいいでしょ」の立憲君主派 vs「王様なんていらないでしょ」のジロンド派です。
この争いは、ジロンド派が勝利しました。
さあ、フランス政権は「王様なんていらないでしょ」のジロンド派が握っている状態です。今更王政に戻すなんて認めるわけもないジロンド派はオーストリアに宣戦布告し、戦争が始まりました。
この戦争では、フランス王家がフランス内部の情報をオーストリアに流していました。
フランス革命潰しを目的としたスパイ活動です。
おかげでフランス軍は連敗続きです。
もう後がなくなり、フランス革命はここに鎮圧かと思いきや、まだ終わりではありません。
フランス全土の義勇軍が続々とパリに集結し、フランス軍を援護しました。「俺たちも一緒に戦うぜ!」という熱い展開です。
このとき義勇軍が行進しながら歌った『ラ・マルセイエーズ』は、現在のフランス国歌になっています。
義勇軍の援護もあり、戦争は見事フランス軍が勝利しました。
第一共和政の成立
その一方で、フランス王家のスパイ活動の噂も国民に知れ渡ってしまいました。
怒れる市民と義勇軍は、ルイ16世一家が住むテュイルリー宮殿を襲撃し、彼らを監獄に放り込みました。
この事件を8月10日事件といいます。
8月10日事件を受けて、立法議会に代わって、新たに「国民公会」という議会が生まれました。
国民公会は王政廃止を決定し、フランスは第一共和政(王様がいない政治体制)へと生まれ変わりました。
※フランス革命後も王政が復活したり、また共和政が復活したり…を繰り返すので、区別するために第一共和政と呼ばれています。
そうなると必要なのが、王の処刑です。共和政を名乗る以上、王は存在すらしてはいけません。
ルイ16世とマリ=アントワネットは、民衆が見守る中ギロチンにかけられ、処刑されました。
恐怖政治
ルイ16世が処刑されたニュースはヨーロッパ中に伝わりました。
各国の王は、「もし自国でも革命が起きて、処刑されたら…」と気が気じゃありません。
革命の飛び火を恐れたヨーロッパ各国は、チームを組んでフランスの共和政を潰しにかかりました。
このチームを第一回対仏大同盟といいます。
この危機を乗り越えるため、指揮を執ったのがジャコバン派のロベスピエールという人です。ジャコバン派とは国民公会内の派閥で、攻めた改革を望む人たちです。ロベスピエールは急進的な施策を実行し、反対する動きをしたものは次々とギロチン台送りにしてしまいました。
このことから、ロベスピエール政権は恐怖政治と言われています。しかし、恐怖で支配する政治は民衆の不満を買ってしまい、ロベスピエール自身もギロチンで処刑されました。
この事件をテルミドール9日のクーデタといいます。
フランス革命の終結
結局総裁政府は上手く機能せず、国内はまた混乱に陥ってしまいました。ちょうどこの時、フランス国民の間で人気急上昇だった人物が、軍人ナポレオンです。
外国へ遠征を仕掛け、相手をバッタバッタとなぎ倒していくナポレオンに、国民は大熱狂です。
遠征を終えフランスに帰国したナポレオンは、クーデタを起こして総裁政府を倒し、一気に国のトップに登りつめました。
ナポレオンは「フランス革命はもうおしまい!」と宣言し、10年間続いたフランス革命が終結しました。
ここからフランスは、ナポレオンの独裁時代に入っていきます。
- ヴァレンヌ逃亡事件でルイ16世は国民の信頼を失い、立憲君主政へ移行した。
- 立法議会ではジロンド派が勢力を伸ばし、革命に敵対的なオーストリアに宣戦布告し、勝利した。
- 立法議会に代わって国民公会が成立し、ルイ16世は処刑され第一共和政が始まった。
- フランス周辺国は第一回対仏大同盟を組んでフランス革命に対抗し、ジャコバン派のロベスピエールが台頭して恐怖政治を始めた。
- 急進的な施策により孤立したロベスピエールが処刑され(テルミドール9日のクーデタ)、5人の総裁から成る総裁政府が樹立した。
- 軍人ナポレオンが総裁政府を倒し、フランス革命は終結した。