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モスクワ大公国をわかりやすく解説

ざっくり要点
  • 1263~1547年、ロシアに存在した国家
  • 15世紀にモンゴルの支配から独立した。
  • イヴァン4世の時代に領土を拡大した。

モスクワ大公国とは?

モスクワ大公国とは、1263~1547年に現在のロシアに存在した国家です。成立期はモンゴル支配下の小国でしたが、1480年に独立を果たしました。

モンゴル支配の時代

モスクワ大公国が成立する以前の歴史から解説していきます。

タタールのくびき

1240年、モンゴル帝国のバトゥの遠征によってキエフ公国(現在のウクライナにあたる)が滅ぼされました。ロシアはそれ以来、モンゴル人国家のキプチャク=ハン国の支配下にはいりました。このモンゴル人によるロシア支配の時代を「タタールのくびき」と呼びます。

モスクワ公国の強大化

キプチャク=ハン国の支配下にはロシア人による小さな地方政権が分立しており、モスクワ公国はその1つでした。やがてモスクワ公国は周辺国を併合して徐々に強大化し、モスクワ大公国へと名前を変えました。
タタールのくびき

イヴァン3世

モンゴルから独立

15世紀になるとモスクワ大公国は急速に勢力を伸ばしました。大公(国のトップ)のイヴァン3世(在位:1462~1505)は東北ロシアを統一して領土を広げ、1480年についにモンゴルの支配から抜け出すことに成功しました。

ビザンツ帝国を継承

1453年にビザンツ帝国が滅亡すると、イヴァン3世はビザンツ帝国最後の皇帝の姪っ子と結婚しました。こうしてイヴァン3世はローマ帝国の継承者とギリシア正教の保護者を名乗り、モスクワ大公国の権威を高めました。また初めてツァーリ(皇帝)の称号を用いました。

MEMO
共和政ローマ時代の軍人、カエサルをロシア語で表記すると「ツァーリ」になります。

イヴァン4世

イヴァン4世(在位:1533~1584)は、イヴァン3世の孫にあたる大公です。

東方進出

イヴァン4世は東方に進出し、シベリアを領土に組み込みました。13世紀の建国当初はモスクワ周辺のみだった領土は、ここまで大きくなりました。

雷帝

イヴァン4世はロシア史に残る暴君として知られており、その冷酷さから「雷帝」というあだ名がつけられています。
実の息子を殴り殺したり、拷問の様子を観察するのが趣味であったりと、強烈なエピソードが多く残っています。

イヴァン4世

晩年は不眠症に悩まされ、よく深夜の宮廷を徘徊したものだ。

死後、内乱期へ

イヴァン4世の死後、モスクワ大公国は貴族による内乱の時代に入りました。1613年には貴族間の選出でミハエル=ロマノフが皇帝に即位してロマノフ朝が始まりました。これが後のロシア帝国へと繋がっていきます。