カペー朝の成立
最初は王権が弱かった
中世フランスのカペー朝、そのルーツは西フランク王国です。
フランク王国が3つに分裂した後の国ですね。
10世紀末に西フランク王国ではカロリング家が断絶し、新たにユーグ=カペーが王位についてカペー朝(987~1328)が始まりました。成立当初のカペー朝は王権が弱い王朝でした。王の領土も小さく、国内のほとんどは大諸侯かイギリスが領有している状況でした。
イギリスのプランタジネット朝は最初から王権が強かったので、それと真逆ですね。
しかしカペー朝では、徐々に王権が強くなっていきます。どのようにして王権が強くなっていったのか、これから解説していきますね。
フィリップ2世 vs ジョン
12世紀末に即位したのがフィリップ2世です。イギリスのジョン王と戦ったことで有名です。
ジョン王覚えてます!失敗だらけの無能な王様ですよね。
そうです。ジョンに勝利したフィリップ2世は、イギリスがフランス国内に所有していた土地の大半を奪い返すことに成功しました。
なるほど。国王が活躍すると、王権は強くなりますね!
ルイ9世 vs アルビジョワ派
続いて紹介するのはルイ9世です。フィリップ2世の孫にあたる国王です。フィリップ2世の頃から、キリスト教の一派であるアルビジョワ派が南フランスで勢力を拡大していました。ルイ9世はアルビジョワ十字軍を結成して彼らを討伐し、南フランスを支配下に置くことに成功しました。
領土を増やして、これでまた王権強化ですね。
フィリップ4世 vs ローマ教皇
そして最後にフィリップ4世です。1303年、フィリップ4世はローマ教皇ボニファティウス8世を倒します(アナーニ事件)。事前に聖職者・貴族・平民の代表から成る三部会を開催して、教皇を捕らえることに関して支持を得たこともあり、王権はさらに強大化しました。
フィリップ2世もルイ9世もフィリップ4世も、敵と戦って勝利することで王権を強めていったんですね。
カペー朝の時代に、後のフランス絶対王政の基盤ができたと考えられますね。
断絶、ヴァロワ朝へ
第15代国王シャルル4世が1328年に死去し、後継ぎがいなかったことからカペー朝は断絶し、ヴァロワ朝(1328~1589)へと移行しました。そしてヴァロワ朝の成立をきっかけに、フランスとイギリスの間に百年戦争(1339~1453)が勃発することになります。