古代オリエント世界、最後はイランについて見ていきましょう。イラン高原という場所が舞台です。
イランの位置
ここまでの流れ
古代オリエントにおいて、イランという地域がどのような歴史を辿ってきたか復習しておきましょう。
ここまでのイラン
- 前4世紀後半、アケメネス朝ペルシアがアレクサンドロス大王によって滅ぼされる。
- アレクサンドロス大王の死後、帝国は3つに分裂し、アジア方面の領土は「セレウコス朝シリア」という王朝に受け継がれる。
- セレウコス朝シリアもまた、領土が広すぎるがゆえの内部分裂によって衰退する。
- セレウコス朝の内部から、バクトリアやパルティアといった国が独立していく。
パルティア
イランに建国されたパルティアについて、少し深堀りしましょう。
パルティアのプロフィール
- 建国者:アルサケス
- 都:クテシフォン
- 領土:イラン高原
- 存続期間:前248頃~後224年
- 特徴①:東西交易で栄える。
- 特徴②:ササン朝によって滅亡。
イランは立地が良い
パルティアはイラン高原に位置しています。ここから東に行くと、中国にたどり着きます。西に行くとメソポタミアやエジプトとも接続できます。つまり、イランはこれらの地域を結ぶ中継地点になるのです。
なので、この地に建国したパルティアは東西貿易で栄えることができました。
ササン朝
3世紀前半になると、新たにササン朝という国が、パルティアを倒してイランに建国しました。
シャープール1世率いるササン朝はローマ帝国と激突し、見事にローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜にしました。
プロフィール
- 建国者:アルダシール1世
- 都:クテシフォン
- 領土:イラン高原
- 存続期間:224~651年
- 特徴①:シャープール1世がローマ軍を破る。
- 特徴②:ホスロー1世の時代に全盛期。
- 特徴③:イスラーム勢力のアラブ人に敗れ、滅亡。
建国者アルダシール1世
ササン朝の建国者であるアルダシール1世は、ゾロアスター教を国教に定めました。パルティアもササン朝も、東西交易の中継地点です。他の国から色んな人が訪れるので、国としての団結が強くなかったのです。そこで、同じ宗教を国民に信仰させることで仲間意識をもたせようとしたのです。
ローマ帝国に勝利したシャープール1世
3世紀なかばにササン朝の第2代皇帝を務めたのがシャープール1世です。アルダシール1世の子にあたります。当時、ササン朝の西方には、ローマ帝国がありました。ローマ帝国からすれば、強国化していくササン朝はやっかいなライバルでした。
MEMO
ちなみにこのときのローマ帝国は「軍人皇帝時代」といわれる時代で、全盛期ほどの国力はありませんでした。ホスロー1世がエフタルを滅ぼす
ササン朝が全盛期を迎えたのが、ホスロー1世の時代です。シャープール1世から時代は少し飛んで、6世紀なかばのことです。
当時のササン朝は遊牧民エフタルの侵入に悩まされていました。そこで、ホスロー1世はトルコ系遊牧民の突厥(とっけつ)と手を組み、エフタルを滅ぼすことに成功しました。
エフタルと突厥の位置
イラン文明の特徴
初期のパルティアではヘレニズム文化の影響を受けた文明が主でしたが、やがてイラン独自の文化が復活し始めます。
アヴェスター
前述のとおり、ササン朝ではゾロアスター教が国教に定められていました。しかし国教とはいえ、地域によって教えが違ったりしていました。それを統一するために、「アヴェスター」というゾロアスター教の教典が作られました。
マニ教の誕生
また3世紀には、マニという人物がマニ教という新しい宗教を始めました。ゾロアスター教に仏教とキリスト教を融合させた宗教です。
でもササン朝はゾロアスター教が国教ですよね。新しく宗教なんか作って大丈夫なんですか?
大丈夫じゃないです。ササン朝ではマニ教は迫害されてしまいました。
しかしイランという地域は東西交易で繁栄した地域でしたよね。国内で居場所をなくしたマニ教は交易路に乗って国外に広まり、中国(唐の時代)にまで伝わりました。
しかしイランという地域は東西交易で繁栄した地域でしたよね。国内で居場所をなくしたマニ教は交易路に乗って国外に広まり、中国(唐の時代)にまで伝わりました。
古代イラン まとめ
まとめ
- 前3世紀半ば、アルサケスがパルティアを建国した。
- 後3世紀、アルダシール1世がササン朝を建国し、ゾロアスター教を国教に定めた。
- シャープール1世はローマ軍を破り、ウァレリアヌスを捕虜とした。
- ホスロー1世は突厥と組んで、遊牧民エフタルを滅ぼした。
- マニ教はササン朝では弾圧されたが、国外に伝播した。
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