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分裂期のイタリア(中世イタリア)

中世イタリアは分裂状態

中世イタリアの歴史、ここまでをざっとおさらいしましょう。
中世イタリアの流れ
  • フランク王国が3つに分裂し、イタリア王国が成立
  • ノルマン人が侵入し、南イタリアに両シチリア王国を建国
  • 商業ルネサンスにより北イタリアで都市が発達

このように、北部では都市が別々に発達し、南部ではよそ者が国を作ってと、中世イタリアは絶えず分裂状態でした。イタリアを北部・中部・南部の3つに分けてそれぞれの動きを見ていきましょう。

北部イタリア

イタリア北部はさまざまな都市国家が乱立する状態でした。主要な都市として、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国などがあります。
どれも今のイタリアの都市の名前がついてますね。昔は別々の国だったんだ…

中部イタリア

イタリア中部は教皇領だと覚えてください。文字通りローマ教皇が所有する土地です。かつて、フランク国王ピピンからローマ教皇に差し出された土地です。
覚えてる?
8世紀半ば、カロリング朝フランク王国のピピンは、イタリアのラヴェンナ地方をローマ教皇に献上した。(ピピンの寄進)これによってフランク王国は教皇との結びつきを強めた。

南部イタリア

南部イタリアでは、両シチリア王国がシチリア王国とナポリ王国の2つに分裂しました。
地図

教皇派か皇帝派か

さらに、イタリアの各都市同士は、ローマ教皇を支持する教皇党(ゲルフ)と神聖ローマ皇帝を支持する皇帝党(ギベリン)の2派に分かれて争いました。これもイタリアの分裂状態を深刻化した理由の一つです。
どうしてイタリアの人たちが教皇派と皇帝派に分かれるんですか?イタリアは部外者のような気がします。

いえ、無関係ではありませんよ。当時の神聖ローマ帝国はイタリア政策と称して、何度もイタリア支配を試みていました。
そういえばそうでした…!

ローマ教会と神聖ローマ皇帝も叙任権闘争で争っている時期ですから、両者の仲は最悪です。その構図にイタリアも乗っかってしまった形ですね。
叙任権闘争・・・11~12世紀、ローマ=カトリック教会の聖職者を任命する権利(聖職叙任権)を巡って、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝が争ったこと。