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マリア=テレジアをわかりやすく解説

ざっくり要点
  • 18世紀のオーストリアの女帝
  • 生涯を通じてプロイセンと争った
  • ハプスブルク家出身で、娘はマリ=アントワネット

マリア=テレジアって誰?

マリア=テレジアは、18世紀にオーストリアの大公(=国のトップ)を務めた人物です。

生い立ち

1717年、マリア=テレジアはヨーロッパ屈指の名門であるハプスブルク家に生まれました。父親は神聖ローマ皇帝を務めたカール6世です。子供のころから容姿端麗で、市民からも人気でした。

マリア=テレジア

綺麗でしょ。

子だくさんな母親

マリア=テレジアは、生涯で16人の子供を出産しました。その中には、後にフランス革命で処刑されるマリ=アントワネットもいました。

オーストリア継承戦争

オーストリア継承戦争(1740~48年)は、マリア=テレジアのオーストリア相続をきっかけとする戦争です。

きっかけ

マリア=テレジアが23歳のとき、父親のカール6世が亡くなりました。カール6世には男子の子供がおらず、女性であるマリア=テレジアがオーストリアの領地を相続することになりました。しかしプロイセンを始めとする周辺国は、女性がオーストリアを相続することに反対し、オーストリア継承戦争が始まりました。

シュレジエンを奪われる

戦争の結果、オーストリア継承権は守ったものの、資源の豊富なシュレジエン地方をプロイセンに奪われてしまいました。
オーストリア継承戦争

リベンジマッチ

外交革命

シュレジエン奪回に燃えるマリア=テレジアは、フランスと手を組むという大決断を下しました。ハプスブルク家とフランスのブルボン家は300年以上も対立関係にありましたが、プロイセンを倒すために外交方針を転換しました。これを外交革命と言います。

MEMO
同じ時期にプロイセンはイギリスと同盟を結びました。フランスのライバルであるイギリスと組んだプロイセンは、フランスにとっても憎い相手だったのです。

フランス

イギリスとプロイセンを叩くためなら、ハプスブルク家とも組んでやるか。

七年戦争

いよいよオーストリア継承戦争のリベンジマッチ、七年戦争(1756~63年)の勃発です。イギリス・プロイセン軍と、フランス・オーストリア軍が激突しました。一時はオーストリア優勢になりましたが、結局プロイセンが勝利し、シュレジエン地方を奪回することはできませんでした
七年戦争