目次
ポリスとは
ポリスの成立過程
1.穀物栽培に適さない環境
ギリシアという地域は、山が多くて大河や平野がありません。さらに雨はあまり降りません。このことから、農作物の栽培には適していなかったんです。その代わりに果樹栽培(オリーブやブドウ)が発達しました。でも毎日ブドウを食べててもおなかは膨れないですよね。古代ギリシア人も同じ人間です。主食は炭水化物が欲しいものです。
2.交易で発展したギリシア
そこで、収穫した果実を加工して商品にして、ギリシア以外の地域の人が育てた穀物と交換してもらっていたのです。このように、ギリシアの経済は交易に依存していました。
3.集住によるポリス形成
やがて有力者が中心になって集まって住むようになり、彼らはそこで知恵を出し合いました。「こうやればもっとたくさんブドウが収穫できるんじゃない?」「あの地域の人はいっぱい麦と交換してくれるから取引の量を増やそうよ。」といったような感じです。こうしてギリシアの各地でポリスが形成されていきました。
- 穀物栽培に適さない環境
- 交易をして穀物を輸入する
- 交易の知恵を出し合うために人々が集住する。→ポリス形成
ポリスの生活
ポリスの住民はどのような生活をしていたのでしょうか。
アクロポリスとアゴラ
ポリスの市街図
- アクロポリス:ポリスの中心部にある丘。各ポリスのシンボルです。神殿がつくられ、市民の信仰の役割を果たしていました。
- アゴラ:アクロポリスのふもとにある公共広場のこと。市民の日常生活の場所で、集会や裁判が行われました。
アテネのアクロポリス
ギリシアの首都アテネの街を見下ろす丘に建つ遺跡。パルテノン神殿や、アクロポリス美術館から成る複合施設である。
市民と奴隷
ポリスの住民は、市民と奴隷に分けられます。さらに市民は貴族と平民に分けられます。
やがて少数の貴族が政治を独占する貴族政治が各ポリスで一般的になりました。
ヘレネスとバルバロイ
ポリス市民であるギリシア人たちは、自分たちのことをヘレネスと自称していました。一方、異民族のことはバルバロイと呼びました。バルバロイとは、「意味のわからない言葉を話す人」という意味で、差別的なニュアンスを含んでいます。
オリンピアの祭典
オリンピアの祭典
4年に1度行われる、神に捧げるスポーツの祭典です。ポリスの垣根を越えた全ギリシア人にとっての一大イベントであり、その期間中は戦争が止まった程でした。
スパルタ
例外的なポリス
- 穀物が育つので自給自足生活をする
- 他の都市と交易をする必要がない
- 閉鎖的な国家体制になる
ペリオイコイとヘイロータイ
ペリオイコイ:完全市民ほどの権利は与えられていない、半自由民です。農業や商工業に従事していました。
ヘイロータイ:奴隷です。完全市民1人当たり20人のヘイロータイが仕えていました。
リュクルゴス体制
前6世紀頃、リュクルゴスという人物がスパルタの軍国主義体制を確立しました。
- 子供は7歳になると丸坊主、裸足、丸裸で軍事訓練を受ける
- 同じ服を着て、同じ食事をとる
- 軍事訓練として、ヘイロータイを殺害することを許可
- スタミナをつけるため血を混ぜたスープを飲む
ポリス まとめ
- 暗黒時代末期(前8世紀頃)、ギリシア世界ではポリスという都市国家が成立した。
- ポリスの中心地である丘をアクロポリスと言い、市民が公共生活を営んだ広場をアゴラという。
- ギリシア人は自分たちをヘレネス、異民族をバルバロイと呼んだ。
- オリンピアの祭典ではギリシア人の同一民族意識が育まれた。
- 鎖国政策をとったポリスであるスパルタでは、リュクルゴスが厳しい軍事体制を築いた。
- スパルタの人口構成は完全市民、ペリオイコイ(反自由民)、ヘイロータイ(奴隷)の三層に分かれていた。
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