「太陽の沈まぬ国」の意味
スペイン全盛期の領土
スペインの成長
- 大航海時代に海外進出し、南米やフィリピンを植民地化する。
- 国王がポルトガル王も兼任し、ポルトガルが持っていた植民地もスペインのものになる。
- 「太陽の沈まぬ国」の完成
大航海時代
植民地から銀が流入
スペインは、大航海時代に急成長した国です。16世紀前半、南米に派遣されたスペイン人のコルテスはアステカ帝国を、ピサロはインカ帝国を滅ぼして現地を植民地化しました。そして植民地から流入する莫大な銀によって、スペインは繁栄しました。
マチュ・ピチュの歴史保護区
インカ帝国の都市遺跡。標高2400メートルの山中に位置しており、「空中都市」の異名を持つ。15世紀中頃に建設されたとされているが、何の目的で建設されたかは分かっていない。
カルロス1世
大航海時代、スペインの国王を務めたのがカルロス1世(在位1516~56)です。彼はスペイン王でありながら、神聖ローマ帝国(ドイツと考えてください)の皇帝でもありました。カルロス1世が生まれたハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝を多く輩出していた名家中の名家です。生まれ持っての血筋の良さで、2つの国の国王に登りつめました。
フェリペ2世
カルロス1世の次にスぺイン王に即位したのがフェリペ2世(在位1556~98)です。彼の時代にスペインは全盛期を迎えました。
オスマン帝国を撃破
フェリペ2世の時代、スペインはレパントの海戦でオスマン帝国を破りました。当時ヨーロッパ諸国にとってオスマン帝国は驚異的な存在でしたが、その恐怖を一時和らげることができました。
ポルトガルを併合
またフェリペ2世は、隣国のポルトガル王女と結婚したことで、ポルトガル王も兼任しました。こうして、ポルトガルが持つ植民地もスペインの支配下に置き、「太陽の沈まぬ国」が完成しました。
マドリードのエル・エスコリアル修道院
フェリペ2世が晩年を過ごした宮殿。スペインがあまりに広大な領土であるため、フェリペ2世は実務に追われ、ほぼ宮殿に籠りきりであった。
外観の装飾は極力排除されているが、内装は豪華に飾られている。
覇権交代
「太陽の沈まぬ国」の栄光もつかの間、スペインは衰退していきます。その原因がネーデルラントによる独立戦争です。
戦争の発端
フェリペ2世は熱心なカトリック教徒(キリスト教の主流宗派)でした。彼はスペインの植民地であるネーデルラント(現在のオランダやベルギーがある地域)にもカトリックを強制しました。
しかしネーデルラントは、カルヴァン派プロテスタント(宗教改革で生まれたキリスト教宗派)の信者が多い地域です。弾圧を受けた民衆はフェリペ2世に反発し、戦争が始まりました。
戦争の経緯
この独立戦争はオラニエ公ウィレムという人物が主導しました。
ネーデルラントの中でも南部はまだカトリックの勢力が強く、途中で戦争から離脱しました。一方で北部の7州はユトレヒト同盟を結び、独立戦争を継続しました。
オランダ独立
開戦から20年以上経った1581年に休戦となり、ネーデルラントの北部7州がネーデルラント連邦共和国(オランダ)として独立しました。オラニエ公ウィレムは、「オランダ建国の祖」として今も称えられています。
一方で、毛織物工業による商工業が盛んなネーデルラントを失ったスペインはここから衰退し、オランダやイギリスに覇権交代を許してしまいます。
スペインとネーデルラントの動向