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春秋戦国時代をわかりやすく解説【古代中国】

予備知識
:春秋・戦国時代の中国の王朝です。途中で都を移動しており、その前後で西周・東周と呼び名が変わります。
諸侯:周王朝における、各地域の支配者のこと。都道府県知事のようなものです。

春秋・戦国時代とは?

春秋・戦国時代とは、古代中国における分裂と抗争の時代です。前半が春秋時代、後半が戦国時代です。
周王朝の遷都(紀元前770年)をきっかけに春秋時代が始まり、秦王朝の全国統一(紀元前221年)によって戦国時代が終結しました。

なぜ春秋・戦国時代が始まった?

春秋・戦国時代が始まる前、周王朝は異民族の侵入から逃れるため都を洛邑という場所に移して、新たに東周へ生まれ変わりました。

ところが、東周以降、王の権力は弱まっていきます。もともと、周王の政治不振に各地の諸侯たちは不満を持っていました。東周に変わった後には、王と諸侯の戦争であろうことか王が負けてしまい、王の弱さが露呈します。
やがて、諸侯同士による覇権争いが始まり、500年以上に及ぶ春秋・戦国時代が幕をあけました。

春秋時代

春秋時代の諸侯の目的は、「覇者」になることです。覇者とは、「周王朝を異民族の侵入から守る者」という意味です。
春秋時代は、周王朝の権威はまだ残っているので、「王を倒して俺様の国をつくる!」みたいなデカいことは言い出せなかったのです。

こうした200以上の諸侯による覇者争いの中で、やがて5人の有力諸侯が頭角を現しました。この5人を「春秋の五覇」といいます。

春秋の五覇(紀元前500年頃)

戦国時代

春秋時代が終わると、次は戦国時代です。人気漫画『キングダム』の舞台にもなっている時代です。
春秋の五覇の一角であるが家臣たちに乗っ取られ、韓・魏・朝の3国に分裂してしまいました。これをもって戦国時代の始まりとされています。「春秋時代と戦国時代は何が違うの?」という疑問には、「より無慈悲な時代」とでも答えるべきかもしれません。
戦国時代は、春秋時代よりも生存競争が厳しい時代です。戦争に負けた国は容赦なく滅ぼされ、戦勝国に吸収されます。
春秋時代と比べて、戦争の意義も変わっています。春秋時代の諸侯は、「周王に次ぐ覇者を決める」という名目で争っていました。
しかし、戦国時代になると周王の権力はほとんど無くなり、諸侯たちがそれぞれ王を自称して争うようになります。この戦乱を勝ち抜いたしんせいえんちょうかんの7つの大国は「戦国の七雄」と称されます。

戦国の七雄(紀元前300年頃)

社会の変化

農業と貨幣経済の発達

春秋・戦国時代には、生活の基礎である農業面で大きな発達がありました
それが、鉄製農具の使用と、牛耕農法の発明です。

それまでのもろい青銅器に代わって鉄製の農具が使用されたことで、農業の生産力が向上しました。
牛耕農法は、人間の代わりに牛に畑を耕してもらう農法です。人間がやるよりも深く耕せるので、荒れた土地も耕せるようになりました。

農作物の生産力が向上すると、農家は余った農作物を売ることができますね。こうして、貨幣の流通が活発になりました。
ちなみにこの貨幣は、鉄製農具の台頭により農業で使われなくなった青銅でつくられています。

実力主義社会へ

もう一つの社会変化が、個人の能力を重視する実力本位の風潮です

貨幣経済が発達したおかげで、貧しい出身でも農業や商業を頑張ればお金持ちになるチャンスがあります。
他にも、喧嘩が強ければ戦争で重用されたり、頭が良ければ国の政治に関われるかもしれません。
このように、春秋・戦国時代は実力主義の時代だったと言えます。血の繋がりを重視していた周王朝から、大きな価値観の変化です。

戦国時代の終結

「戦国の七雄」の一角である秦によって、戦国時代は幕を閉じます。秦は法律による厳しい統治(法治主義)で強国化し、周辺国を次々に征服していきました。

秦については、こちらで紹介しています。

諸子百家の登場

春秋・戦国時代の乱世を生きる人々は、「国や人間はどうあるべきだろうか?」と考え、模索するようになりました
そうして誕生したさまざまな思想家をまとめて、諸子百家といいます。諸子百家の教えは、一国の君主が政治に取り入れることもしばしばありました。
諸子百家の中にもいくつかの思想に分けられるので、紹介します。

儒家

儒家は「仁」と「礼」を重視した思想です。「仁」は他者への愛、「礼」は目上の人への敬意です。上下関係の秩序によって、国は安定するんだという考え方です。

儒家の代表人物として、孔子こうし孟子もうし荀子じゅんしが挙げられます。
孔子の教えは著書「論語」で現在も知ることができます。
孟子は「人の本質は善」という性善説を唱え、荀子は「人の本質は悪」という性悪説を唱えました。

法家

法家は、法律によって民衆の行動を制限することで、国の秩序を保とうとする思想です。法家のルーツは、荀子の性悪説にあります。「人の本性は悪だから、法によって人の行動を制限すべき」という理論です。代表人物には、商鞅しょうおう韓非かんぴ李斯りしがいます。

後に中国を統一する秦は、法家の思想を政治に取り入れることで強国化しました

墨家

墨子ぼくしを始祖とする墨家は、無差別・平等の愛(兼愛)が大切であると説きました。儒家のような上下関係による統治に批判的です。秦によって戦国時代が終わると、墨家は消滅しました。

道家

道家は、礼や道徳のような人工的な秩序を批判しました。もっとあるがまま、なすがまま、無為自然による生き方が大事だと主張しました。老子ろうし荘子そうしが代表人物です。


以上、諸子百家の中から代表的な4つを紹介しました。この他にも、外交策を説く縦横家や軍事戦略を説く兵家などがあります。

春秋・戦国時代 まとめ

まとめ
  • 春秋・戦国時代とは、古代中国における分裂と抗争の時代のこと。
  • 春秋時代は「春秋の五覇」、戦国時代には「戦国の七雄」と呼ばれる諸侯が互いに争った。
  • 鉄製農具と牛耕の発明により農業生産性が向上し、貨幣の流通が活発になった。
  • 春秋・戦国時代に生まれた様々な思想は、「諸子百家」と総称される