エカチェリーナ2世 ざっくり要点
- 18世紀後半のロシア皇帝
- ロシアの近代化を進めた女帝
エカチェリーナ2世とは?
エカチェリーナ2世は、18世紀後半のロシア皇帝(在位:1762-96)です。17世紀後半のピョートル1世と並び、ロシアの近代化を進めました。
生い立ち
エカチェリーナ2世はロシア人ではありません。もともとはドイツの貴族出身で、同じくドイツ生まれのロシア皇太子(のちのピョートル3世)と結婚しました。
国民に愛される皇后
ロシア皇帝に嫁いでからのエカチェリーナ2世は、ロシア語を習得して宗教もロシア正教に改宗するなど、ロシア国民に支持される努力を重ねました。
エカチェリーナ2世
ロシア皇后として、国民に愛されるための努力は当然よ。
ピョートル3世
祖国ドイツを捨てきれない…
こうした状況で、国民の支持も得たエカチェリーナ2世はクーデタを起こし、夫のピョートル3世を廃して皇帝に即位しました。
エカチェリーナ2世
もう私が皇帝やるわ。
私生活
プライベートでは、エカチェリーナ2世は数十~数百人の愛人を抱えていたと言われています。
女帝として
領土拡大
エカチェリーナ2世はピョートル1世に続いてロシア帝国の領土拡大に努めました。
西ヨーロッパ方面では、ロシア、プロイセン、オーストリアの3国でポーランドの国土を分け合いました。(→ポーランド分割)
また南下政策として、オスマン帝国と戦ってクリミア半島を奪いました。
MEMO
ロシアは、冬季には多くの港湾が凍ってしまいます。そのため、不凍港(冬でも凍らない港)の獲得を目指して南方への進出を推進していました。→南下政策ラクスマン
外交面では、軍人ラクスマンを日本に送って江戸幕府に交易を申し入れました。しかし当時の江戸幕府は鎖国体制をとっており、ラクスマンの要求は跳ね返されました。
エカチェリーナ2世 まとめ
まとめ
- エカチェリーナ2世は、18世紀後半のロシア皇帝。
- 17世紀後半のピョートル1世と並んで、ロシアの近代化を進めた人物。
- ポーランド分割やクリミア半島の領有など、領土拡大に努めた。