イスラーム世界の年表
13世紀
モンゴル民族の襲来 今ココ
フラグ率いるモンゴル軍がアッバース朝を滅ぼし、イル=ハン国を建設。ガザン=ハンのときイスラーム教に改宗。
ここまでの流れ
セルジューク朝の衰退後、12世紀のイスラーム世界の中心はエジプトのアイユーブ朝に移りました。ヨーロッパの十字軍とも戦い、聖地イェルサレムを奪還することに成功しました。
モンゴル×イスラーム
イラン高原のモンゴル系国家イル=ハン国はイスラーム世界と融合し、イラン=イスラーム文化を開花させました。
プロフィール
- 建国者:フラグ
- 都:タブリーズ
- 領土:イラン
- 存続期間:1258~1353年
- 特徴①:モンゴル系国家
- 特徴②:ガザン=ハンのときにイスラーム化
建国
13世紀
世界史において、13世紀はモンゴルの時代です。こちらの地図を見てください。赤線で囲んだところが全てモンゴル帝国です。
めちゃくちゃでかい!!モンゴルにこんな黄金の時代があったんですね…
アッバース朝を滅ぼす
これだけ領土が大きいと、モンゴル帝国がイスラーム世界とぶつかるのは必然ですよね。チンギス=ハンの孫、フラグ率いるモンゴル軍は西アジアに侵攻し、1258年にアッバース朝を滅ぼしてイル=ハン国を建国しました。
アッバース朝も長く続いたけど、ついに力尽きましたね。
POINT
アッバース朝の滅亡と同時に、カリフ制度も消滅した。
ここで13世紀のイスラーム世界の地図を見てみましょう。
かなりイル=ハン国の存在感がありますね。
ガザン=ハン
イル=ハン国はモンゴル系の国なので、イスラーム教とは関係なくないですか?
確かにその通りで、イル=ハン国はもともとイスラーム国家ではありませんでした。7代目のガザン=ハンという人物がイスラーム教に改宗し、イル=ハン国もイスラーム世界の仲間入りを果たしました。
どうして改宗したんでしょう?
イル=ハン国が征服した先住民たちはイスラーム教徒ですから、国のトップがイスラーム教に改宗したほうが国を上手くまとめられるという判断ですね。
POINT
ガザン=ハンはイスラーム式の税制を導入してイスラーム文化も保護したので、イラン=イスラーム文化が発展しました。
滅亡
1335年、イル=ハン国の第9代君主が暗殺され、フラグの血統が途絶えました。国内の地方政権は後継者争いで揉め、イル=ハン国は解体されました。
確認テスト
答え.フラグ
答え.ガザン=ハン