カトリックとは?
カトリックとは、キリスト教の宗派の1つです。キリスト教全体の信者は世界に約24億人いますが、そのうちの13億人を占める最大の宗派でもあります。
カトリックとプロテスタントの違い
次にキリスト教の二大宗派、カトリックとプロテスタントの違いを比較してみます。
カトリック | プロテスタント | |
教皇 | 最高指導者 | なし |
教皇をトップとするヒエラルキー | 組織体制 | 全員平等 |
神父・司祭 | 聖職者の呼び名 | 牧師 |
原則禁止 | 聖職者の結婚 | 自由 |
あり | 聖人崇拝 | なし |
豪華 | 教会のつくり | 質素 |
禁止 | 教徒の離婚 | 自由 |
切る | 手で十字架を切るか | 切らない |
権威や格式を重んじるカトリック、個人の自由を重んじるプロテスタントといった印象を受けますね。
カトリックの成り立ち
もともとは一つだったキリスト教から、どのようにしてカトリックが生まれたのか、その歴史を解説します。
ローマ帝国の東西分裂
話は4世紀末に遡ります。当時地中海世界を制覇していたローマ帝国内には、五本山と呼ばれる5つの有力なキリスト教会がありました。その中のツートップがローマ教会とコンスタンティノープル教会です。この2つの教会はバチバチに主導権争いを行っていました。
- ローマ
- コンスタンティノープル
- アンティオキア
- イェルサレム
- アレクサンドリア
カトリックとギリシア正教へ
その後も東西教会間の対立は収まらず、1054年にキリスト教会は完全に分裂し、西のローマ教会は「ローマ=カトリック」、東のコンスタンティノープル教会は「ギリシア正教」と名乗るようになっていきました。
教皇権の絶頂
10世紀以降、ローマ=カトリック教会は神聖ローマ帝国の保護下にありました。ローマ教皇をトップとする強固なヒエラルキー制度のもとで、ローマ=カトリック教会は西ヨーロッパ社会全体への影響度を増していきます。やがて神聖ローマ皇帝よりもローマ教皇が強い権力を持つ時代に入り、13世紀の教皇インノケンティウス3世の時代に教皇権は絶頂を迎えました。
カノッサの屈辱
この時代のローマ教皇の圧倒的権力を象徴する出来事といえば、やはり「カノッサの屈辱」(1077)でしょう。当時のローマ教皇と神聖ローマ皇帝は叙任権(聖職者を任命する権利)を巡って争っていました。そんな中、教皇が皇帝に破門を言い渡し、皇帝は三日間雪の降るカノッサ城の前で教皇に許しを請うた、という事件です。
十字軍の派遣
1095年のクレルモン宗教会議では、ローマ教皇は十字軍の派遣を提唱しました。十字軍とは、キリスト教の聖地であるイェルサレムを、イスラーム勢力から取り返すための軍隊です。ヨーロッパ各国の国王や都市は教皇に従い、1096年~1270年の全7回に渡って十字軍を派遣しています。
宗教改革
十字軍の失敗などにより教皇権は衰退し、ローマ=カトリック教会は影響力を失っていきます。堕落・腐敗するローマ=カトリック教会への批判は高まり、16世紀に宗教改革が起こります。教会の権威を重んじるカトリックに対して、個人主義的な信仰を重視するプロテスタントが生まれました。
カトリック まとめ
- カトリックとは、キリスト教の最大宗派のことである。
- ローマ教皇をトップとするヒエラルキーのもと、権威や格式を重んじる。
- 1054年に西のローマ教会、東のコンスタンティノープル教会にキリスト教が東西分裂したことが起源である。
- ローマ=カトリック教会は中世西ヨーロッパ世界での影響力を強め、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝は叙任権を巡って争った。
- 16世紀の宗教改革により、腐敗したカトリックを批判する形でプロテスタントが生まれ、現在はカトリックに次ぐ信者数を持つ。