- 17世紀のイギリスで起こった、王政が倒された革命のこと
- ステュアート朝の国王が議会を軽視したことが発端
- 王政打倒後、議会派のクロムウェルが実権を握った
ピューリタン革命とは?
ピューリタン革命とは、17世紀のイギリスにおいて王政が打倒され、共和政(王がいない政治体制)が成立した革命のことです。
ピューリタンって何?
ピューリタンとは、イギリスにおけるキリスト教カルヴァン派の人々の呼び名です。ピューリタンが革命運動の中心勢力を担ったので、ピューリタン革命と言われています。
革命が起こった理由
国王の議会軽視
イギリスで1603年にテューダー朝が断絶し、スコットランドからステュアート家が迎えられ、新たにステュアート朝が始まりました。ところが、ステュアート朝の初代国王のジェームズ1世と2代目のチャールズ1世は、共に議会を軽視した政治を行いました。議会を重視するイギリスにおいて、彼らの議会軽視の姿勢は当然議会からの反感を買いました。
議会から王へのお願い
不満を溜めた議会は、「権利の請願」をチャールズ1世に提出しました。これは、「もうこれ以上好き勝手しないでください。議会と手を取り合って政治をしてください」というお願い文書です。しかし議会の必死のお願いに対して、なんとチャールズ1世は議会を解散させてしまったのです。
チャールズ1世
やっぱり議会が必要
チャールズ1世が議会を解散してから約10年後、地元のスコットランドでイギリス国教会の強制に対する反乱がおきました。反乱を鎮圧するには、もちろんお金が必要です。そこでチャールズ1世は資金集めのために議会を招集しました。議会を解散させてから、11年ぶりのことです。
議会を一度解散しておいて、お金が必要だから再び招集。この身勝手さに議会は当然反発し、チャールズ1世の提案を拒否しました。招集からわずか3週間で解散したため、この議会のことを短期議会と呼びます。
議会
資金繰りに失敗したチャールズ1世はスコットランドの反乱を鎮めることができず、多額の賠償金を支払うはめになりました。賠償金捻出のために再び議会が招集され、今度は13年間解散することなく続いたので、この議会を長期議会と言います。
王党派 vs 議会派
こうした国王と議会のゴタゴタは、王党派(国王を支持するグループ)と議会派(議会を支持するグループ)による対立へと変化しました。
内戦の開始
1642年には王党派と議会派が激突し、内戦が始まりました。開戦当初は王党派が優勢でしたが、独立派のクロムウェルが軍隊を率いて戦況を盛り返しました。最終的には議会派が逆転勝利を収め、国王チャールズ1世は処刑されました。この瞬間をもってイギリスから国王が消滅したので、共和政に移ります。
議会派内の対立
革命中に、クロムウェルは同じ議会派の中の長老派を追放しています。
議会派の中にもいくつかの派閥があり、クロムウェルが所属する独立派は、長老派と対立する思想でした。
議会派の中の派閥
- 長老派:王政は認めつつも、憲法で国王の権力を制限する。(立憲君主制)
- 独立派:王政を廃止し、共和政を目指す
- 水平派:共和政に加え、信仰の自由も目指す
クロムウェルの政治
チャールズ1世を処刑し、共和政の始まりです。リーダーは、ピューリタン革命を指揮したクロムウェルが務めました。
水平派を弾圧
先ほど、クロムウェルは議会派の中の長老派を追放したと説明しました。今度は長老派に続いて、水平派も弾圧にかかりました。
クロムウェル
国外遠征
国外では、スコットランドとアイルランドを征服しました。両国は王党派の拠点となっており、反対勢力を潰すことが目的でした。
航海法
1651年には、航海法を制定しました。この法律によって、海上貿易においてイギリス船か貿易相手国の船のみを使用するように制限されました。当時中継貿易で繁栄していたオランダを邪魔することが目的です。
オランダはもちろん航海法に反発して、イギリス=オランダ戦争が勃発しましたが、イギリスが勝利しました。
クロムウェル
王政復古
そしてクロムウェルは議会を解散させ、自らは護国卿という独裁的な役職に就任しました。しかしクロムウェルのワンマン政治に国民の不満は高まっていきます。これでは絶対王政と変わりありませんからね。
結局クロムウェルの死後、1660年にチャールズ2世が即位してステュアート朝が復活しました。これを王政復古と言います。イギリスの共和政はたった12年で終了です。
ピューリタン革命 まとめ
- ステュアート朝の国王たちは、イギリス伝統の議会を軽視した政治を行い反発を招いた。
- 王党派と議会派の対立は内戦にまで発展し、議会派が勝利して国王チャールズ1世は処刑された。
- 共和政成立後は、革命運動を主導した議会派(独立派)のクロムウェルが権力を握った。
- 独裁政治をふるったクロムウェルの死後、チャールズ2世が即位してステュアート朝が復活した。