イスラーム世界の年表
632~661年
正統カリフ時代 今ココ
ムハンマドの死後、イスラーム世界をカリフが統率した時代
ここまでの流れ
ムハンマドが創始したイスラーム教は当初こそ迫害を受けたものの、メッカ征服後は堅調に信者を増やしていきました。そしてムハンマドはアラビア半島全体を支配するにまで至りました。
ムハンマドの後継者
イスラーム教の創始者であるムハンマドは、632年に死去しました。ムハンマドは、アッラーの教えを聞くことができる唯一の預言者です。
一大事じゃないですか。ムスリムは焦りますよね。
そこで、カリフという役職が生まれました。カリフはムハンマドのようにアッラーの声を聞くことはできませんが、イスラーム世界をまとめるためのリーダーとして君臨しました。
ムハンマドの代理人みたいな感じですね。
”正統”カリフ
初代カリフのアブー=バクルから4代目カリフのアリーまでの時代を、「正統カリフ時代」といいます。
正統って何が正統なんですか?普通に「カリフ時代」で良さそうな気もしますけど。
正統カリフ時代の4人のカリフたちは、信者の選挙によって選ばれました。なので”正統”カリフ時代なのです。
正統カリフの4人
- アブー=バクル
- ウマル
- ウスマーン
- アリー
ジハード
聖なる戦い
正統カリフ時代には、異教徒への征服活動が頻繁に行われました。この戦争のことをジハード(聖戦)といいます。
聖なる戦いってどういうことですか?普通の戦争とは違うんですか?
ムスリムにとっては、異教徒と戦うことも信仰活動の一つなのです。死さえも恐れず、絶対神であるアッラーのために戦う信念があるがゆえ、イスラーム軍はとても強かったのです。
ニハーヴァンドの戦い
ジハードの例として、642年のニハーヴァンドの戦いが挙げられます。この戦いでイスラーム軍はササン朝を滅ぼしました。
ササン朝も大きな国ですよね。よく勝てましたね。
ササン朝の全盛期は6世紀ですからね。ホスロー1世が死去して衰退していたササン朝に、イスラーム軍がとどめを刺した形になります。ニハーヴァンドの戦いの他にも、イスラーム軍はシリアとエジプトをビザンツ帝国から奪いました。
イスラーム教が生まれて50年程で、これだけの領土に広がったんですね。
ミスルの建設
イスラーム軍は、ジハードによって征服した土地にミスルという軍営都市を建設していきました。征服地を支配するための拠点です。
正統カリフ時代の終焉
突然ですが、4代目カリフのアリーが何者かに暗殺され、正統カリフ時代は終わりました。アリーの後を受けてカリフに就任した人物がムアーウィヤです。
正統カリフ時代が終わるということは、ムアーウィヤ以降のカリフは選挙によって選ばれていないということですか?
いいところに気が付きましたね。ムアーウィヤは「これからのカリフは我ら一族、ウマイヤ家から輩出する!」と宣言し、661年にウマイヤ朝が始まりました。
シーア派とスンナ派の対立
カリフの選び方を巡っては、イスラーム教徒内でも意見が分かれました。「ムアーウィヤは実力あるし、別にいいんじゃない?」というスンナ派と、「いやいや、暗殺されたアリーの子孫だけが正統だろ!」というシーア派です。この2つの宗派は現在もイスラーム教の2大勢力で、スンナ派が多数派です。
POINT
スンナ派:ムハンマドの教えに従う。イスラーム教徒の多数派。
シーア派:アリーと、その子孫のみを正統な後継者として認める。
シーア派:アリーと、その子孫のみを正統な後継者として認める。
確認テスト
答え.アブー=バクル
答え.ジハード(聖戦)
答え.ニハーヴァンドの戦い
答え.アリー
答え.ムアーウィヤ
答え.シーア派