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中世ヨーロッパ封建社会の衰退

荘園制の限界

ここまでの流れをおさらいしましょう。十字軍の遠征をきっかけにして東方貿易が拡大し、11~12世紀にかけて西ヨーロッパでは商業と都市が繁栄しましたね。
商業ルネサンスというやつですね。

商業と都市が発展したことで、西ヨーロッパ世界に貨幣経済が浸透しました。その結果、中世初期の西ヨーロッパを支えた荘園制度のしくみが衰退していきます
覚えてる?
荘園・・・封建社会の基盤となった、領主が経営する土地のこと。領主の厳しい管理のもとで、農奴は様々な義務や納税を課せられました。荘園制のもとでは、自給自足的な現物経済が主流でした。
荘園制が衰退したことで、荘園制を基盤に成り立っていた封建社会も衰退していくんですね。

そういうことです。中世西ヨーロッパの経済体制のターニングポイントです。

農民の地位向上

荘園制は農奴と呼ばれる農民たちの頑張りで成り立っています。領主にこき使われていた農民たちですが、14世紀頃から農民の地位が向上していきます。ここに、荘園制が衰退した理由があります。ではなぜ農民の地位が向上したのか、その理由を2つにまとめました。
農民の地位が向上した理由
  • 農業人口の減少
  • 経済的自立

農業人口の減少

14世紀に入ると、農業人口が減少していきます。領主は荘園の労働力を確保しなければいけないので、農民の待遇を上げざるを得ませんでした。
なぜ農業人口が減ってしまったんですか?

ヨーロッパの気候が寒くなってしまい、農作物が余り育たなくなってしまったんです。さらに追い打ちをかけるように、黒死病(ペスト)という感染症が大流行したことで、農業人口が減ってしまいました。
POINT
黒死病(ペスト)によって、当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計されています。

経済的自立

上で説明したように、11~12世紀にかけて商業と都市が発展したことで、西ヨーロッパ世界に貨幣経済が浸透しました。そうすると、農民は余った作物を市場で売ってお金を稼ぐことができますよね。その内のいくらかは領主に納めなければなりませんが、残ったお金は自分のものになります。こうして、農民たちは経済的に力をつけていくことができました

農奴解放

領主からの待遇が良くなり経済的にも豊かになった農民は、もはや荘園で働く必要はありません。束縛から解放された農民たちは独立して自営農民に成長していきました
サラリーマンが脱サラして起業するみたいな感じですね。

イギリスでは特に農民の自立が顕著で、独立自営農民たちはヨーマンと呼ばれました。
表

領主の没落

領主と農民の形勢逆転

農民の地位が向上する一方で、今まで農民を支配してきた領主は没落していきました。自分たちに税を納めてくれる農民がどんどん荘園を離れて独立していくからです。
POINT
十字軍の遠征に従軍した領主たちは戦費を自費でまかなっていたので、経済的に苦しくなっていました。

いよいよ困った領主は、再び農民への束縛を強めました。「かつての荘園制よもう一度」といった感じです。しかしもはや農民は領主の言いなりではありません。これに抵抗した農民は各地で反乱をおこしました。代表的なものに、フランスのジャックリーの乱やイギリスのワット=タイラーの乱などがあります。

騎士の没落

農民反乱は鎮圧されましたが、領主の貧困は加速するばかりです。中でも中小領主である騎士は、国王や諸侯に領地を没収されていきました。
覚えてる?
騎士・・・封建社会の領主層を構成する人々。国王や諸侯といった主君から領地を与えられ、荘園を営みました。必要があれば主君のために戦います。

14~15世紀には火砲が発明され、剣を使って戦う騎士の地位がますます弱まりました。

領主の地主化

没落した諸侯や騎士といった領主層は廷臣(ていしん)として国王に仕えるようになりました。自身が所有する領地においては、農民から地代を取り立てるだけの地主となりました。
マンションの大家さんみたいな存在ですね。

封建社会においては強力な存在だった諸侯でしたが、ここにきて国王に仕えました。そうなると当然、国王の権力が高まっていきます。都市の市民たちは市場を統一するリーダーの存在を求めていたので、その点も国王にとって追い風でした。
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