イスラーム世界の年表
11世紀
トルコ人活躍の時代 今ココ
トルコ人王朝のセルジューク朝が登場。建国者トゥグリル=ベクがスルタンの称号を授かる。
ここまでの流れ
10世紀にはアッバース朝の勢力が衰え、エジプトのファーティマ朝とイランのブワイフ朝が台頭しました。ブワイフ朝はアッバース朝の都であるバグダードを侵攻し、イスラーム世界の主導権を握りました、
セルジューク朝
プロフィール
- 建国者:トゥグリル=ベク
- 領土:中央アジア・西アジア・小アジア
- 存続期間:1038~1194年
- 特徴①:カリフからスルタンの称号を授けられる
- 特徴②:ビザンツ帝国を圧迫し、十字軍の契機となる
転機の11世紀
8~9世紀に繁栄したアッバース朝は、10世紀に入ると帝国内の内部分裂により弱体化が進みました。
そうです。ブワイフ朝がアッバース朝の都バグダードに侵攻してからは、事実上の政権をブワイフ朝に奪われてしまいました。そんな混沌とした空気漂うイスラーム世界は、11世紀の後半に転機を迎えます。
イスラーム世界の主役へ
ブワイフ朝を打倒
ブワイフ朝に好き勝手やられてしまい、アッバース朝カリフの権力は失墜しました。そんな中、カリフの取り巻きがある噂を耳にします。「どうやら中央アジアでスンナ派の王朝が生まれて、彼らはここバグダードを目指しているらしい。」と。その王朝が、トルコ人によるイスラーム王朝、セルジューク朝です。ポイントは、セルジューク朝はスンナ派であるということです。
アッバース朝も同じスンナ派なので、セルジューク朝に助けてもらえるってことですか?
その通りです。1055年、アッバース朝のカリフに迎え入れられたセルジューク朝はバグダードに入城し、ブワイフ朝を追い払いました。
スルタン
アッバース朝は助けてもらったお礼として、セルジューク朝の建国者のトゥグリル=ベクに「スルタン」という称号を授けました。それまでの大アミールに代わって、スルタンによるイスラーム世界の統治がここから始まりました。
ブワイフ朝政権もここまでですね。
マムルーク
どうしてセルジューク朝は建国して間もない国なのにブワイフ朝を追い払えたんでしょうか?
セルジューク朝が強国だった影には、マムルークと呼ばれるトルコ人奴隷兵士の存在があります。マムルークはイスラーム各王朝に仕えており、セルジューク朝もマムルークを採用し、軍隊組織を整えました。
十字軍との戦い
ビザンツ帝国を圧迫
十字軍のきっかけはセルジューク朝だったんですね。
分裂状態では勝てず
こうして1096年に第1回十字軍が派遣されました。しかしこのときのイスラーム世界は分裂状態です。
ファーティマ朝やブワイフ朝の登場あたりから、イスラーム世界はバラバラでしたね。
そんな状態で十字軍を迎え撃つわけですから、イスラーム側は苦戦し、結局1099年には十字軍にイェルサレムを占領されてしましました。
衰退・滅亡
一族の分裂
12世紀に入るとセルジューク朝は衰退の一途をたどります。スルタン一族の分裂により、これまでのセルジューク朝は解体され、ケルマーン・セルジューク朝、ルーム=セルジューク朝、シリア・セルジューク朝、イラク・セルジューク朝の4つの地方政権に分裂しました。
最後は内部分裂とは、あっけないですね。
ルーム・セルジューク朝は他のセルジューク朝政権よりも長生きしましたが、1243年にはモンゴルの支配下に置かれました。
確認テスト
答え.トゥグリル=ベク
答え.スルタン
答え.マムルーク